連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第32話

 契約期日が少し過ぎた九月二十一日、いよいよ私達の泥壁ながらも、真新しい新居に移転する日が来た。森田のママイと一緒に、美佐子が揃えた食器等の所帯道具と、森田さんのプレゼントの小さなタンスなど、森田さんのカミニョン(トラック)にちょこんと乗せてのムダンサ(移転)であった。殆ど何もない独立であったけど、皆さんの協力のお陰で独立できた。今から二人で頑張ろう。嬉しかった。不安はなかった。希望に燃えていた。森田さんは良く面倒を見て下さった。今から先も色々お世話になるだろう。いつの日か一人前になって、それが恩返しになるのだろうか。請負でロッサされた山は焼けるばかりに乾いていた。ムダンサして数日しての夕方、山焼きをした。ものすごい焔が山をなめ尽くして半アルケールの広々とした空間が広がった。

    最初のバタタ(馬鈴薯)作

 次の日から開墾である。大きな木の根っこが土中にしっかり根を張っているので、エンシャドン(とう鍬)とマシャード(斧)で掘り起こすのである。一日真っ黒になって土との格闘である。一タレファ(約五〇〇㎡)を平均四日で開墾する。半アルケールは二十五タレファなので私一人でやれば一〇〇日かかることになり、植え付けに間に合わない。そこで二人のカマラーダを雇って一タレファいくらで請けさせた。勿論、私もやるわけだ。
 何とかクリスマス前に開墾が済んで、今度は掘り上げた大きな木の根を山に積んで焼いてしまうのである。あらかた邪魔な根を取り除いたらトラクターでの耕起である。トラクターは森田さんから借りてきた。そしてグラーデ(砕土機)をかけて地均しをする。これで植え付けの土地の準備はできた。バタタの種芋と肥料と農薬を少しの人件費などをコチア組合が独立資金として融資してくれたので、森田さんの裏書で利用させてもらった。種芋はオランダ産のビンジ種を選んだ。ドイツ(アレモン)産のもあるけどビンジ種の方が病気には弱いけど品質が良くて、市場価値が高いのである。
 一九六〇年二月の中旬、独立最初のバタタの植え付けを行った。ブーロ(驢馬)も森田さんから借りて、その日は植え手も谷脇さんたちが手伝ってくれた。ブラジルでは急に人手を要する植え付けなどにはムチロンと言って、近所の人達にたくさん来てもらって手伝ってもらう。その替わり、また隣が忙しい時には手伝いに行く、と言う隣組制度がある。そんな時には食事はこちらで準備せねばならない。
 半アルケールのバタタの植え付けは一日で終わり、夕食は皆で賑やかに食べて飲んで楽しいひと時を過ごすのである。

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