
日本語学校の窓から見える景色は、6月にもかかわらず、肌寒い風とともに、梅の花が咲き始め、季節の移り変わりを感じる今日この頃。改めて私は、日本の反対側ブラジルで生活をしているんだなと実感しています。
こんにちは。2024年9月から、サンパウロ州イビウーナ市で日本語教師として活動している石原千嘉です。
イビウーナ市は、ブラジルの主要都市であるサンパウロ市から西に車で約2時間の場所に位置します。
1948年に設立されたイビウーナ文化体育協会(以後「文協」と省略)は2025年で77周年を迎える、歴史ある日系の協会です。
文協の運営のため、設立当初から続く日本語学校や、スポーツ・文化活動(陸上・野球・和太鼓・バレーボール・カラオケ・華道など)を行ってきたことは、幅広い分野でイビウーナの日系コミュニティを支えてきただけではなく、今ではイビウーナの町を支えるコミュニティとして、日系非日系関係なく皆が活躍する場となっています。
設立当初、町のどこに住んでいても皆が教育を受けられるようにと日本語学校と共に寄宿舎があったことは、イビウーナ日本語学校の特徴の1つです。
当時は、午前はブラジル学校でブラジル人と同じようにポルトガル語でブラジルについて勉強し、午後は日本語学校で日本の教科書を使って日本語を学んでいました。
週末以外自宅に帰ることができなかった生徒たちは、年齢や性別関係なく、協力し合いながら楽しい寮生活を送っていたでしょう。

現在、寄宿舎は使用されていないものの、当時のやり方の名残は多く残っています。
例えば、午前勉強したブラジル学校から、午後勉強する日本語学校まで、皆で歩いて通学すること。給食を食べた後、生徒たちで協力して食器を片付けること。誕生日の生徒がいれば、皆でお祝いすること。遊びや文化を学ぶ中で、自然と協力し合う姿があること。
全生徒27人、3歳から15歳までと年齢は幅広いですが、困っている人がいれば助け合いながら、協力して物事をこなしていく。このような雰囲気は、寄宿舎時代の中から自然と受け継がれてきた伝統なのかもしれません。
いつの時代も生徒自身が日本語学校を勉強する場所だけではなく、1つの居場所として存在しているように感じます。
また文協全体にも感じられるあたたかさがあります。
例えば、行事の際には、全員で協力して、運動会や会食の準備をし、料理を作ったり、会場設営をしたりします。

私がイビウーナに来てすぐの頃、アパートの中でガス漏れがしたり、シャワーが出なかったり、Wi―Fiが繋がらなかったりと、様々なトラブルがありました。そんなとき、文協の方々が連絡を取り合い、予定が空いている人が私の家に来て修理してくれたり、気にかけて声をかけてくれたりしました。
困っている人がいたら助ける。協力する。そして居場所となる。この素敵な思いやりの伝統は、文協全体から子どもたちへ、そして未来へと受け継がれていくものでしょう。
最後に、いつも私のことを気にかけてくださる文協の皆さま、先生方、本当にいつもありがとうございます。