
ミナスジェライス州パトロシニオ市で、結婚67年・同居74年の夫婦が同日に数時間差で亡くなった。ヴィセンチ・デ・パウラ・アランテスさん(98)と妻シルマ・シルヴァ・ダ・ボアヴィアジェンさん(91)は、互いの存在なしには生きられないと周囲からも知られていた。18日付テラサイト記事(1)が報じた。
シルマさんはわずか40日前に進行性の病を患い、そのまま帰らぬ人となった。一方のヴィセンチさんも20日前に腕を骨折して体調を崩し、ICUに入院。そのまま容体は回復せず、6月10日、シルマさんと同じ日に息を引き取った。彼には妻の訃報は伝えられなかったが、長男ジュニオールさん(66)は「2人は何もかも分かっていた。いつも一緒だったからだ」と語っている。
夫婦には2人の息子と6人の孫、1人のひ孫がいる。長男は「母は天国で父を待っていて、『一緒に行くのよ』と言ったんだと思う。父はとても素直な人だった」としみじみと語った。
ヴィセンチさんは地元出身の弁護士、シルマさんはイタビリト出身で、家庭と地域活動に尽力し「精力的な女性」として知られていた。二人は職場で知り合い、デートを重ね、1958年に結婚。7月2日には結婚67周年を迎える予定だった。
晩年まで手を取り合い、どこに行くにも常に一緒だった。介護の必要から別々に寝ることになった際も「父は最後まで拒んだ」と息子は振り返る。
母は「早く旅立てるよう祈って」と頼んでおり、息子はその願いを尊重した。「両親は美しい人生を送った。これは神の導きとしか思えない」と語った。
一方、15日付G1サイト記事(2)によれば、サンパウロ州ヴォトゥポランガ市でも、74年間連れ添ったオジレタさんとパスコアルさんが同日に亡くなり、共に葬られた。夫婦の金庫には、若き日の愛を綴った多くの手紙が保管されていた。「この愛の手紙が届くころ、君が幸せでありますように」と記された文面には、純粋な想いが溢れていた。
2人の出会いは町の広場。偶然の接触が恋の始まりだった。4年の交際を経て、3日間の盛大な結婚式を挙げた。夫婦は家族経営の靴屋で共に働き、常に寄り添って生きてきた。6人の子どもに恵まれた。
晩年、オジレタさんはアルツハイマーを患い、パスコアルさんが甲斐甲斐しく支えた。やがて彼も癌と診断され、家族は一致団結して看取った。病で離れ離れとなった後も、彼は妻の不在を嘆き、祈りを捧げ続けたという。
2組の夫婦に共通するのは深い愛とゆるぎない絆だ。キリスト教の結婚式で唱えられる「死が2人を分かつまで」という誓いを無視して、死んでもまでも一緒にいることを実践したようだ。彼らは最後の瞬間まで共にあった。これは偶然ではなく、導かれた運命かもしれない。