《記者コラム》佳子さまご来伯で共感広まる=予想凌駕するシンパシーご発揮=世代交代する大志万学院で

16歳生徒「日本語を勉強してきて良かった」

一色・アギアル・幸江・ラウラさん

 「すごく緊張していましたが、佳子さまの優しそうな目を見たら、落ち着きました。私の挨拶に大きな拍手をしてくだされ、本当に嬉しかった。とっても明るい顔をされていたのが印象的でした。日本語を勉強してきて良かったと心の底から思いました」--7日午後、サンパウロ市の大志万学院(川村真由実校長)をご訪問された佳子さまに、歓迎の言葉を日本語で述べた生徒、一色(いっしき)アギアル・幸江(ゆきえ)・ラウラさん(16歳、3世)にお会いした感想を聞くと、目を輝かせながらそう答えた。
 彼女は、同学院の講堂いっぱいに集まった生徒や父兄を代表して挨拶し、母方が約400年前にブラジルへ移り住んだ初期ポルトガル人の末裔で、父が日系2世であることから、両方の文化を大切にしてきたと自己紹介した。
 第14回使節団メンバーとして昨年12月から55日間、訪日した経験を語り、1月2日の皇居での一般参賀の時に、皇族の方がお並びになっているを見ながら日本とブラジルの旗を振り、天皇陛下のお言葉を聞いて「本当に心が震えました」との経験を述べた。
 彼女は三重県南部の大紀町(たいきちょう)でホームステイしたことが一番思い出に残っており、「民家のおじいちゃん、おばあちゃんと薪を切ったり、囲炉裏を囲んでご飯を作ったり、一緒に歌を歌ったりしながら、たくさんお喋りをしたことを一生忘れません。おじいちゃん、おばあちゃんは優しい、温かい、思いやりいっぱいの心を持った方々でした。私もおじいちゃんやおばあちゃんのような心の優しい人になりたいと思いました。」
 「日本では日本語の深さ、日本文化の尊さに触れ、日本がますます好きになりました」
 「日本とポルトガル、二つの国の長い歴史が、ブラジル人である私の体の中で混ざっています。今それを誇りに思っています。私の心は白と赤、緑と黄色、ブラジルも日本も愛しています。二つの国の架け橋になれるように、これからもっと努力します。今日、佳子内親王殿下を私たちの学校にお迎えできたことに深く感謝しています」と頭を下げると、佳子さまは大きな拍手を贈られた。
 生徒からは有名サンバ・カンソン「Trem das Onze」の合唱が披露され、ご来校記念に佳子さまにクレイモリンガ(土瓶)とカッピン・ドウラード製皿敷きがプレゼントされた。

生徒からフェスタ・ジュニーナの料理の説明を聞く佳子さま

大戦中に日本で空襲、平和教育に邁進

 同学院自体の創立は1993年だが、起源は真由実校長の母・川村真倫子さん(96歳、2世)が1952年に創立した日本語学校・松柏学園に遡る。母・真倫子さんは戦前の日本人学校的存在であった大正小学校を卒業後、日本で小学校6年生の授業を1年間受けさせたいという父の教育方針で、1941年に郷里の学校に送られた。詳細は《《記者コラム》平和教育の根幹は戦争体験=大正小学校卒業生 川村真倫子の生涯》(https://www.brasilnippou.com/2025/250121-column.html)で。
 その間に第2次大戦が開戦、帰伯できなくなった。両親の郷里である三重県川越市に住み、小学校6年、桑名高等女学校(今の中学校)で3年間、亀山師範学校で3年間学んだ。戦争中、桑名高等女学校時代に飛行機部品工場へ学徒動員させられた。桑名には友達が多く、B29の空爆が爆撃でその多くが死んでいった。
 昨年12月に取材した際、真倫子さんは「空襲の時、学徒動員の工場のすぐそばに学徒のための大きな防空壕があり、そこに友達の多くが逃げ込みました。でもそこに逃げ込んだ友達は直撃を受けて全員死にました。私は何を思ったか、そこではなく遠くに走ったんです。他人の防空壕に飛び込んだら、そこは家族用の防空壕で『よそ者は出ていけ』と言われた。仕方なく別の防空壕に潜り込んで、今度も『出ていけ』と言われたが、聞こえないふりをしてやり過ごした」という辛い経験を証言した。
 さらに「空襲が終わった後、外に出てみたら、友人らが逃げた大きな防空壕も、次に逃げ込んだ家族用の防空壕も爆弾の直撃を受けていた。辛い思いをしたので、戦争なんかするんじゃないよと子供たちに教えているんです。今でも亡くなった人たちがチラチラと見えてくる」と、その辛さをテコに「教育で戦争のない世界を実現できないか」と思うようになった。1951年、10年後にブラジルへ戻り、平和を子供達に教えるために日本語学校を開いたのが、松柏学園の始まりだ。
 真倫子さんは「日本語学校のままではいつか廃れるかも。いっそのこと私立小学校(コレジオ)にして、そこに日本語教育を組み込んだら生き残れるのでは」と考え、1993年に現在の大志万学院を始めて、娘の真由実さんに託した経緯がある。

真倫子さんの引き際を 心得た見事な生き様

川村真由実校長

 今回、会場に真倫子さんの姿がなかったので、真由実校長(65歳、3世)に尋ねると「佳子内親王殿下のご来校を、母はものすごく喜んでいます。でも『もうあなたたちの時代だから、私は行きません。あなた達がやってきたことの成果で、殿下が来られることになったんだから、あなたたちでしっかり歓迎しなさい』と母から言われました」とのこと。
 真由実さんによれば、「母は『この世でやりたいと思ったことは全てやり遂げた。こんなに幸せになれるとは思っていなかった。あとはお迎えを待つだけ』と言っています」という。真倫子さんらしい、引き際を心えた見事な生き様だ。
 真由実さんは「母には本当に感謝しています。母が始めてくれたおかげで、ここまで来ることができました。母のおかげで、根の深い日本文化を教えることが今でも可能になっています。今までそれを頑張ってやってきたから、佳子さまが来られた。やってきた甲斐があります」と目を少し潤ませた。
 コラム子の見方では、青年期を日本で過ごした母・真倫子さんは日本の影響がすごく強く、日本文化の深み、日本人の精神性を子供達にそのまま教えるというか、一生懸命に日本人を育てようとしていた部分があるように感じた。
 だが娘・真由実さんは「日本の心を、ブラジルに合った形で残す」という風に修正を加えた。良きブラジル人を育てることを前提に、日本文化の深みを知るという選択肢を与え、洋の東西の文化を知ることでよりグローバルに活躍できる人材に育てるという発想やバランス感覚に変わったように思う。それが現在の同学院の成功につながっているように感じる。
 生徒が日系であれ、非日系であれ、中国・韓国系であっても、矛盾なく日本文化を教えるには、そのような考え方の方が汎用性が高い。「日本文化を世界に広める」という方法論において、とても実践的で進んだ発想だと痛感する。以前コロニアでは「日本人を作る」的な発想になってしまいがちだったが、日本語や日本文化と日本人精神を切り離して教えることに関して、大志万は独特のメソード(教育法)を開発している。

講堂での歓迎会の様子

子供のダンス、父兄の料理に感謝のお言葉

 今回、佳子さまに、そのバランス感覚を象徴するような出し物が披露された。講堂での歓迎会の後、サロンに移動し、ブラジル南部地方で欧州移民子孫のコミュニティでよく見られる紐ダンスが披露された。
 中央のポールにから伸びた赤、白、緑、黄色の4色の紐を、20人ほどの田舎風の衣装を着た生徒がそれぞれ持ち、踊りながら順々に場所を入れ替わり、中央ポールに紐を編み上げていくダンスだ。
 真由実さんによれば「佳子さまはダンスを見て、『赤、白、緑、黄色、最後は混ざった色になりましたね。素敵な踊りですね』と嬉しそうにおっしゃられました」とのことだ。
 移民国家ブラジルらしい一幕と言える。
 最後は、フェスタ・ジュニーナ(6月祭り)で出される典型的な料理がテーブルに並べられ、ブラジルらしさを演出。生徒から主だった料理の説明を日本語で受けた佳子さまは、「どれがお薦めですか?」と質問され、生徒が勧めたタピオカ・チーズ菓子(Dadinho de tapioca)などを次々にお召しになり、「とっても美味しいです」と喜んだ。

父兄に囲まれ、ご来校記念ケーキを前に子供達の合唱を聞く佳子さま(大志万学院提供)

 特別にご来校を記念したケーキが用意され、佳子さまがカットされると、生徒達が誕生日の歌を勢いよく合唱して歓迎した。佳子さまの誕生日は12月なので、ご来校記念ケーキだ。
 最後に、ダンスを踊った生徒達と料理を準備した父兄に集まってもらい、佳子さまは「ダンスは見ているだけで、とっても楽しい気持ちになりました。この料理は、ここでは食べきれないので、持ち帰らせてもらい、ホテルでゆっくり食べさせてもらいます。皆さんにお会いできて嬉しかったです。本当にありがとうございました」と、後ろまで聞こえるような大きな声を出して、丁寧にお礼を述べた。
 佳子さまを歓迎するために学校玄関には、生徒達が自分で作った字体で「佳子内親王殿下WELCOME」というメッセージが貼られていた。ブラジルを代表する鳥ツカーノやベニコンゴウインコ、黄イペー、日本を代表する紅葉や桜などが文字に散りばめられていた。生徒の自主性を重んじる同校らしい歓迎方法だ。
 子供4人を同校に通わせたPTA会長の石井ケルソンさん(58歳、2世)は、「佳子さまは生徒と直接に話していただき、とても嬉しかった。とても高貴な方なのに、我々の目線で接してくれ、温かみと親近感を感じた。子供達に与える教育的な影響は計り知れない。普段、日本が遠いと思っている生徒に、日本語や日本文化に興味を持たせる強い動機を与えてくれた」と感謝していた。

ポールの上部から赤白、次に緑黄色、最後に混ざった形に紐が織られる子供達の踊り

ご結婚後も公務続けられるよう法改正を

 冒頭の幸江さんは「もっと堅苦しい方かと予想していましたが、全然違いました」とも語っていた。佳子さまは、予想を遥かに上回るシンパシー(共感性)を発揮され、日系人を各地で魅了している。ブラジルには世界から各国の王室が視察にくるが、日本の皇室のように身近に接している様子は寡聞にして聞かない。
 270万人のブラジル日系社会にとって、日本の皇室の役割はとてもグローバルで重要だ。総理大臣が来ようが、外務大臣が来ようが、現在、佳子さまが行われているような日系人への動機づけは不可能だ。だが、現在の皇室典範では、女性皇族(内親王・女王)は結婚と同時に皇族籍を失い、一般人扱いになると定められている。佳子さまのような高い社交性を持つ皇族が、ご結婚後もご公務を続けられるような法整備を心から期待したい。(深)

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