
サンパウロ人文科学研究所(保久原淳次ジョルジ理事長)は5月13日夜7時から、 ブラジル日本文化福祉協会ビル2階で、同人文研専任研究員として日本移民を研究していた文化人類学者の前山隆氏を偲ぶ会を行い、縁のある10人ほどが集まり、それぞれが故人への思いを述べ、ありし日を偲んだ。当日の様子は動画に撮影され、静岡県の遺族に送られた。
前山さんは自宅のある静岡県静岡市で、昨年12月9日に亡くなっていた。行年91歳。前山さんは1933年に北海道で生まれ、1960年に静岡大学卒業後、1961年からサンパウロ大学(USP)留学生、76年にUSP講師や助教授になるまで約16年間をブラジルを中心に活動、77年から信州大学、筑波大学、静岡大学で教鞭をとり、97年に退官。04年に退職して静岡市で生活していた。
当日は最初に保久原理事長が開催趣旨と前山氏の経歴を説明。小室千帆首席領事は「前山先生が残された著作は日系文化を深く知るために非常に貴重なもの。日本の多文化共生に貢献するに違いありません」と述べた。
保久原理事長は「私が『O súdito (Banzai, Massateru!)』を刊行した後、前山氏は日本から会いにきてくれ、『この本には大変重要なことが書かれている』と論評してくれた」との個人的な逸話を披露し、「日本移民史を知る上で欠かせない3冊をあげるとすれば『移民の生活の歴史』(半田知雄著)、『日本移民80年史』(同編纂委員会)、斉藤博志氏と前山氏らが行った研究報告『Assimilação e Integração dos Japoneses no Brasil』(SAITO, Hiroshi; MAEYAMA, Takashi (org.), São Paulo: Editora da Universidade de São Paulo, 1973)だと思う。いずれも人文研が深く関わった著作で、前山氏はその一角を担った重要な研究者だった」と存在を位置付けた。
憩の園を運営する救済会の創立者渡辺マルガリーダ氏の評伝に関して、救済会の本田イズム理事長は「この本があるから、我々は創立者の考え方、人生を知ることができる。発足時の記憶が失われないよう、我々は心がけている」と述べた。
元サンパウロ州高等裁判事で文協顧問の渡部和夫氏は「1977年に日本とラ米の関係を扱ったシンポジウムの際、私の書いた論文が波紋を読んだ。『日本社会の延長のようなコロニアはもう存在しない、ブラジル社会の一部としてコミュニティがあるだけ』という内容で、当時の日系社会の中で不評を買った。今なら当然のこととして受け入れられるだろうが、当時は反発を受けた。だが、前山氏は私の考え方に共鳴してくれた。当時としては数少ない我々2世の理解者だった」と偲んだ。
元鉱山動力大臣の植木茂彬氏も「個人的に面識はないが、彼ほどブラジル社会、日系社会をよく理解した研究者はいないと思う。彼のような研究者がもっとブラジルにきて、日本に研究成果を伝えてもらい、ブラジル理解が進むとありがたい」と語った。

西尾ロベルト文協会長は「私は渡部和夫氏に誘われて、2003年から百周年協会に協力を始めた。前山氏のことはポ語百年史の編纂委員会の会議中によく出てきたので覚えている」、救済会の相田祐弘さん(やすひろ)副理事長は「前山さんは当会役員の故大浦文雄さんの親友で、よく二人で酒を飲んでいたのを覚えている。マルガリーダさんの本を出版した際、前山さんから『救済会のことをよろしくお願いします』と言われたのを今も思い出す。彼は日本人のスピリットを強く持った人物だった」と懐かしそうに語った。
日本移民史に関連した著書には『ドナ・マルガリーダ・渡辺 移民・老人福祉の五十三年』(編著、御茶の水書房、1996年)、中尾熊喜の評伝『非相続者の精神史 或る日系ブラジル人の遍歴』(御茶の水書房、1981年)、『移民の日本回帰運動』(NHKブックス、1982年)、『異邦に「日本」を祀る ブラジル日系人の宗教とエスニシティ』(御茶の水書房、1997年)など多数ある。