胸が痛い一幕
最近、県人会に関して、非常に対照的な事例を立て続けに目の当たりにした。
名前は出せないが、ある県人会の総会に取材に言った際、元会長である90代の2世男性がポルトガル語で、カルトーリョに届けられた同会の執行部の書類に不備・不正があったとして、総会中止を申し入れ、延々と議事進行を妨げる様子を見ていて、胸が痛くなった。
彼の言うことはとてもよく分かる。とても真面目で一途な人で、確かにその県人会の過去には一部、正式には認められない行為があったかもしれない。彼の言っている内容に悪意はない。だが、県人会の過去に過失があり、悪意がなくて有能な人物が、正当な書類を準備して主張しているとしても、だから「正しい」とまで言えないのが会運営の難しい点だ。
元会長が執拗に間違いを指摘して議事進行を止めるのを、見るに見かねた現体制側の壮年のブラジル人男性は、議長に発言を求めて、冷静に次のように言った。
「過去の間違いに関する話を、毎回毎回蒸し返されたら、県人会の将来に関する肝心の議論ができない。過ちがあったことは県人会の皆が認識し、大半はすでにそれが過去のこととして、それ以上追求する必要ないというコンセンサスがある。一人でいつまでもそのように追求するなら、司法の場に訴えるしかないのでは」と発言した。実に現実的な提案だと感心した。そのように考え、県人会活動に協力してくれている非日系人がいること自体、感謝していいことだと思う。
元会長の態度からは「木を見て森を見ず」という印象を受けた。彼が言っていることは確かに正しい。だが、そればかりに固執することで、県人会全体の活動を盛り上げる勢いが削がれ、せっかく集まってきている若い役員らにやる気がなくなって、どんどん停滞していってしまわないかが心配される。
「私は人生で一度も間違ったことをしたことがない」と言う人は存在しない。同様に、間違いのない団体も存在しない。顔を合わすたびに、誰かから過去の間違いをほじくり返されるような場所に行きたい人はいない。それが正されたところで、県人会活動が盛り上がる訳でもない。
日系団体でも、個人の人生においても、大事なのは「間違わないこと」ではないと思う。間違えても、失敗しても、その体験を踏まえてやり直すことが重要ではないか。繰り返しいうが、元県人会長には悪意はない。考え方の食い違いにより「とてつもない善意の無駄な消耗」が起きているように見える。それゆえに胸が痛い。
若い日系人には自分の家庭や他にやりたいこともあり、休みだからゆっくりしたいという気持ちをもあるだろうに、それをおして県人会にボランティアとして来てくれている。そんな彼らが、せっかく集まったのに嫌な気分で帰るような場なら、もう二度と行かないかもしれない。
元研修生OBに任せて活性化する岡山県人会

一方、岡山県人会(角南美佐子会長)では素晴らしい事例に遭遇して、心の中で快哉を叫んだ。昨年初め頃から会計理事の山田アレシャンドレさん(47歳、3世)を中心に、仲間が集まって、根本的に県人会の雰囲気を変えている。
岡山県人会のイベントといえば、長いこと「桃太郎フェイジョアーダ」とか「雛祭り」が定番だった。5月16日晩、アーチストの滝田クラウジオさん(3世)の個展「幽玄―インスピラサオ・オリジナリア」の開幕式の取材で、久々に入って驚いた。
会館の雰囲気がガラッと変わり、その場にいる来場者も知らない人ばかりで、完全に変わっていたからだ。県人会の会館でアーチストが個展を開催するなど、かつては考えられなかった。
特に目を引いたのは、リベルダーデを舞台に活躍する若い日系インフルエンサーが勢揃いしていたこと。それぞれがセルラーを片手に動画撮影に忙しくしており、翌日には一斉にその時の動画がSNSに溢れた。我々のような紙の新聞の時代ではないことが痛感されると共に、県人会役員がそのような新しいメディアとガッチリと組んで、イベントを上手に行っていることを頼もしく思った。
昨年3月に山田さんらは会館の大規模なリニューアルを図り、それから、美術展や工芸展、展示会を主催したり、会場貸しをしたりする。今年から県人会サイト(https://okayamakenjinkai.org.br/)もリニューアルされ、日本語表示もある洗練されたものに変わった。会計理事だけに「JICAの支援でエアコンを取り付け、残りは県人会の財政状態が許す限り、少しずつリフォームをしてきた」としっかりしている。
同会館では今年から、和太鼓教室や日本語教室も始まっている。県人会が若返り、勢いがある。それに連動するように、県庁も今年から県費留学生制度を復活させたという。「今二人日本に行っています」と嬉しそうに報告する。
聞けば、山田さん自身も2004年の県費研修生で、中国銀行で研修したと懐かしそうに語った。同会サイトには研修した感想として「金融業界で働いた岡山での研修は、私の個人の成長には不可欠な体験でした。専門スキルを広げ、金融市場に対するグローバルな視点を身につけ、そして自分の文化と再び繋がることができました。この衝撃的な体験は、新たな視点と機会を与え、私の将来を形作ってくれました」と書かれている。
「県人会は母県の〝大使館〟のようなもの」
同県人会は「Conheça o Okayama Kenjinkai- ブラジル岡山県人会の紹介」(https://www.youtube.com/watch?v=uQSUBk4DKZ8)という動画をサイトで公開している。その中で、役員の頃末アンドレさんは、「いくつかの県人会が消滅の瀬戸際にあります。なぜでしょうか。日本との関係がうまく行っていないとか、会員数が減少しているなどが理由です。多くの県人会は若者を集めることができません。我々の県人会の目標は、若者に興味を持ってもらえる会になることです。特に訪日した経験のある研修生たちにです。県人会というのは、母県にとって外国における〝大使館〟のような役割を果たしています」と興味深いコメントを述べている。
角南県人会長は同ビデオで「県人会は創立71周年を迎えます。71周年は長そうで短くて、あっという間に経ってしまった。だんだん皆さん年をとって難しくなってきた。今回、若い人が頑張って盛り立ててくるということなので、私たちも少し希望を持って、県人会がより発展するように頑張ります」と肩の荷を下ろしたような表情で語っている。
コロニアを支えてきた1世や戦前2世が高齢化した現在、県人会活動を活性化するには、帰ってきた県費研修生・留学生をいかに取り込むかにかかっている。せっかく彼らがやる気になってくれた時、彼らを信頼して任せる判断も必要ではないか。
一番難しいのは会の中の人間関係
47県人会のうち、すで片手分ぐらいはほぼ活動を停止し、存続の岐路に立たされている。でも『自分の代で県人会を潰した』と言われたくないから、「解散」と言わないだけの状態ではないか。
一つの目安としては、県連が積極的に勧めるにも関わらず、日本祭りに参加できない県人会は、すでに片足を棺桶に突っ込んでいる可能性がある。さらに県庁とのやりとりができる人がいない、周年式典が開催できないという会は、もう一段危険な状態にある。
前述の県人会も、やりようによっては復活し、活発化する可能性は十分にある。とはいえ、結局何が難しいと言って、会の中の人間関係が一番難しいのだろう。(深)