和歌山、大阪、東京8日間=駆け足で日本を巡る旅=(上)県連会長 谷口ジョゼー(眞一郎)

 4月21日〜28日、この旅行は短くて慌ただしいものであったにもかかわらず、非常に実り豊かで、当初の目的を十分に達成した。
 この旅は4月18日、エアチャイナのフライトが午前9時25分にグアルーリョスを出発し、マドリッドと北京の経由で始まった。北京では、20日の午前8時40分に大阪(関西空港)行きの便が出発するため、19日の夜北京で一泊することになった。飛行機は午後12時40分ごろ大阪に到着した。出口では和歌山県庁国際課の田井慶祐さんと西田卓司さんが待っていた。
 魅力的な価格にもかかわらず、エアチャイナのサービスは質が高く、北京での宿泊中は、エアチャイナによって送迎サービスとホテルの宿泊が提供されたことは特筆に値する。
 北京で私が感銘を受けたのは、想像していたのとは全く違って、新しい建物がたくさんあり、道路や並木道も広く、大きくて新しい車が走っている近代的な都市で、まるでマイアミにいるような気分になったことであった。中国が世界第2位の大国であることは偶然ではない。
 和歌山に到着すると、グランヴィアホテルに連れて行かれ、そこで3日間滞在した。同じ日の午後、スーツケースの一つの鍵の問題を解決する必要があった。旅行前に家で閉じたまま、開かなくなってしまった。開けるには和歌山の専門の鍵屋に持っていかなければならず、その日は日曜日であった。
 幸運にも鍵屋さんが見つかり、スーツケースを開けることができた。しかし、スーツケースに鍵付きのベルトを購入する必要があり、翌日、田井さんが手配してくれた。
20日、旅行中に使っていたベルトはバックルからちぎれたので、ズボンにつける新しいベルトを買いに行った。それから毎朝のウォーキング用に軽い靴も買った。夕食は迫間脩さん、山下善夫さんとご一緒した。

 4月21日(月)は和歌山県への公式訪問の初日であった。
午前中は父の出身地であるかつらぎ町へ行った。中阪雅則町長が温かく迎えてくださった。短い会話の後、彼は谷口家の先祖の墓について私に尋ねた。私が正確な場所は分からないと答えると、彼はすぐに、最近退職した池田という役所の元職員に電話をかけ、その人が教えてくれるはずだと言った。
 実は池田さんは谷口家の墓地の近くに住んでいた。町長も同行して池田さんの自宅へ向かった。墓地は急な丘の上にあり、私は25年前にそこに行ったときからまさにこの場所を覚えていた。献灯・献線の後、町長と池田氏に感謝の意を表し、お別れした。
その後、私たちは父の知り合いで、数期にわたって地方議員を務めた元議員の門三佐博氏に会いに行った。息子の門博文さんが経営するレストランで一緒に昼食をとった。その料理は名物の「うなぎのかば焼き」(タレで味付けした日本風の焼きうなぎ)であった。門さんと別れて和歌山市へ戻った。途中、寺の敷地内にある味村家(母方の先祖)の墓地を探したが、見つからなかった。
 和歌山県で最初に訪問するのは岸本周平知事になるはずだった。残念ながら、私が日本に到着する直前の4月14日に彼が突然亡くなったため、それは実現できなかった。代わって、和歌山県企画部長の北村香様にご対応いただいた。まず、県人会会員を代表して岸本知事のご逝去に対し哀悼の意を表し、続いて、令和6年10月19日に開催されたブラジル和歌山県人会創立70周年記念事業に知事、慶祝団ご一行様にご臨席いただいたこと、また、祝賀会費用の一部送金、高齢者や車椅子利用者のためのミニエレベーター設置に対する援助を、会員を代表してお礼申し上げた。
 また、関西風お好み焼きを作るための道具や材料の積み下ろしができないため、日本祭りが終わった8月から工事を開始する予定だと述べた。ドウラドスとクルパイの移民を讃える記念碑の落成式への助成金を承認していただいたことにも感謝した。そして最後に、和歌山県国際交流課の代表者をサンパウロの日本祭りに招待し、お好み焼き作りを手伝ってもらい、会員やその子弟たちと一緒にお好み焼き作りを直接体験してもらうように頼んだ。そして私は、8月に予定されているドウラドスの記念碑の除幕式に出席するよう招待した。
 県庁では、岡澤利彦空港活性化担当参事、久保友里恵和歌山県国際交流班主事、山本昌弘企画部国際課副課長、西田卓司国際課班長、古田隆洋和歌山県農林水産政策局輸出促進班主査らと面会した。そして、私たちの旧友である魚井慎吾さんとも。
 それから私は県議会に連れて行かれたが、そこでは昨年ブラジルに訪れた議員全員がすでに私を歓迎するために待っていた。鈴木太祐議長に挨拶と贈り物を交わした後、秘書課の部屋へ案内され、岸本知事の逝去を悼む弔問記帳にブラジル和歌山県人会会長として記名した。
 訪問日程に定められた手続きを終えた後、鈴木太祐先生の招待で代表団と夕食を共にした。こうして訪問日程の初日は終了した。

和歌山県庁関係者と。右奥は、昨年の日本祭りで「いいもの展」を担当した伊佐康平さん

 4月22日(火)は訪問予定日の2日目であった。
予定通り午前9時30分に田井慶祐さんが公用車で迎えに来てくれた。私たちはまず、和歌山に住む外国人を支援する財団法人和歌山県国際交流協会(WIXAS)の理事長である樫畑直尚先生を訪問した。同財団は、和歌山出身の若者や関係者の子弟たちに3週間の「ホームステイ」奨学金を支給している。そこでWIXASの常務理事、事務局長の鈴川典之氏とお会いした。鈴川氏は、先日退職した北山徹氏の後を継いだ。
 その後、和歌山県国立大学を訪問し、本山貢学長に迎えられた。同時に野村孝徳教授(学生・研究・国際交流担当、副学長、工学博士)も出席した。国際交流課の寺本匠課長、国際交流課留学生支援係の程奈緒子職員、そして私たちの古い知り合いであり友人である観光学部の東悦子教授、そしてブラジルのドウラドス連邦大学(南マットグロッソ州)との相互協力協定を結ぶためにすでにブラジルを訪れている長友文子教授。そこで私たちは、協定を通じて専門分野のコースを受講するために今年和歌山に渡った、ドウラドス出身の若者、ヤン・ヨシノリ・アラカキ君とも会った。
 和歌山名物ラーメンを昼食にいただいた後、田辺市にある和歌山中南米交流協会現役会長の冨家力氏のご自宅へ向かった。私らは早く到着したので、田井さんは和歌山の有名な備長炭博物館を訪れることを提案した。備長炭は、熊野山地の原生林に生息するウバメガシから生産される高収量炭である。ウバメガシは和歌山県のシンボルツリーである。
 木炭生産技術により、白炭と黒炭の2種類の石炭が得られる。違いは、白炭はゆっくり燃えるので、肉や魚を焼くのに適している。黒炭は炎が活発なので、早く燃え尽きる。炭は、焼いたり暖めたりするほかにも、冷蔵庫の消臭、炊飯、水の浄化などにも使われている。冨家力氏の自宅には、協会前会長の眞砂睦氏、自宅で奨学生を迎えた那須寛治氏、ブラジル在住経験がありポルトガル語を話し、現在はアドベンチャーワールドにサービスを提供しているアワーズ社に勤務する村上裕美子さんも同席した。
 会議の後、私たちは和歌山に戻り、グランヴィアホテル近くのレストランで田井慶祐さんと夕食に行った。こうして訪問2日目は終了した。(つづく)

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