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《記者コラム》「神様、なぜこんなひどい仕打ちを」=ルイス・ゴンザガ生誕112周年=北東伯人の魂込めた名曲の数々

2024年12月17日

繰返しカバーされる代表曲「アーザ・ブランカ」

 ブラジル北東伯を代表する名曲「アーザ・ブランカ」(ウンベルト・テイシェイラ、ルイス・ゴンザガ作曲、1947年)は、当地在住者ならどこかで聞いたことがあるだろう。次の歌詞を見比べながらこの動画《Luiz Gonzaga - Asa Branca ft. Fagner, Sivuca, Guadalupe》(1)をぜひ見てほしい。
国内移民の哀愁を切々と歌った名曲「アーザ・ブランカ」
※ChatGPT荒訳を修正

Quando olhei a terra ardendo
大地が燃え上がるのを見たとき
Qual fogueira de São João
まるでサンジョアン祭りの焚き火のように
Eu preguntei a Deus do céu, ai
私は天の神様に尋ねた
Por que tamanha judiação
「なぜこんなにもひどい仕打ちを」
Eu perguntei a Deus do céu, ai
私は天の神様に尋ねた
Por que tamanha judiação
「なぜこんなにもひどい仕打ちを」

Que braseiro, que fornalha
なんという炎、なんという炉
Nem um pé de plantação
畑には一本の作物もない
Por falta d'água perdi meu gado
水がなくて牛を失い
Morreu de sede meu alazão
愛馬は渇きで死んでしまった
Por falta d'água perdi meu gado
水がなくて牛を失い
Morreu de sede meu alazão
愛馬は渇きで死んでしまった

Até mesmo a asa branca
白羽根さえも
Bateu asas do sertão
この地を飛び立ってしまった
Entonce eu disse, adeus Rosinha
Guarda contigo meu coração
だから私は言った「さよなら、ロジーニャ、私の心を君に託すよ」
Entonce eu disse, adeus Rosinha
Guarda contigo meu coração
だから私は言った「さよなら、ロジーニャ、私の心を君に託すよ」

Hoje longe, muitas léguas
今では遠く離れて、何里もの彼方
Numa triste solidão
悲しい孤独の中で
Espero a chuva cair de novo
再び雨が降るのを待っている
Pra mim voltar pro meu sertão
故郷に戻れるように
Espero a chuva cair de novo
再び雨が降るのを待っている
Pra mim voltar pro meu sertão
故郷に戻れるように

Quando o verde dos teus olhos
君の瞳に緑の
Se espalhar na plantação
畑が広がるそのとき
Eu te asseguro não chore não, viu
私は約束するよ、泣かないでおくれ
Que eu voltarei, viu
必ず戻るから
Meu coração
この心とともに
Eu te asseguro não chore não, viu
私は約束するよ、泣かないでおくれ
Que eu voltarei, viu
必ず戻るから
Meu coração
この心とともに

曲名となった鳩の一種「Asa Branca(白羽根)」(Dariosanches, via Wikimedia Commons)
曲名となった鳩の一種「Asa Branca(白羽根)」(Dariosanches, via Wikimedia Commons)

 この曲のテーマは、北東伯(ノルデスチ)内陸部セルトンを襲う干ばつで、シラバトとも呼ばれるハトの一種、羽根の白い通名「Asa Branca(白羽根)」さえも渡りを起こすほどだと歌う。だから自分も今は故郷を離れて南西部(リオやサンパウロ)に働きに行くが、「雨が降ったら必ず帰るから」と彼女に約束する、北東伯の半砂漠地帯セルトン住民の心情を切々と歌い上げる。
 ブラジルでは2021年4月までに、様々なアーティストによって316回もカバーし直されるなど、今も道端のアコーディオン弾きから大舞台の上まで、繰返し愛唱されている名曲だ。

12月13日が生誕記念日「フォホーの日」

 なぜ急に、ルイス・ゴンザガ(1912年―1989年)の名曲紹介を始めたかと言えば、先週金曜日12月13日が彼の生誕112周年だったからだ。ペルナンブコ州エシュで生まれた彼の音楽スタイルが、北東伯民謡バイオンであることから別名「Rei do Baião(バイオン王)」と呼ばれる。彼の息子で有名な音楽家「Gonzaguinha」と区別するために「Gonzagão」とも呼ばれる。

1957年当時のルイス・ゴンザガ(Brazilian National Archives, Public domain, via Wikimedia Commons)
1957年当時のルイス・ゴンザガ(Brazilian National Archives, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼はバイオンだけでなくシャシャド、ショッテ、フォホーなどの北東伯の音楽文化をブラジル全国に広めた。だから彼の生誕日12月13日が「フォホーの日」と連邦で制定されている。
 ブラジル版カウボーイの格好で、トライアングルとアコーディオン、ザブンバ(担ぎ桶太鼓)の軽快なリズムに乗せて、哀愁がこもった歌詞が歌われるというコントラストが、実にノルデスチ(北東伯)らしい。
 生誕を記念したCBNブラジルの特集ニュース(2)の中で、ゴンザガの孫であり、ゴンザギーニャの息子であるダニエル・ゴンザーガ氏は、次のように語っていた。
 「彼の歌を学ぶことで、北東部の風景が見えてきます。ダムや道路、動植物、町々、これら北東部の人々のことはあまり知られておらず、南東部の人々にとっては完全に未知の世界でした。ゴンザガが1947年にそれを見抜いたからこそ、私は彼をブラジルの最大のアーティストだと考えています」
 半世紀の音楽家人生の中で、ルイス・ゴンザガは600曲以上を録音し、うち243曲は彼自身が作曲し、パートナーとともに制作されたものだ。これらの楽曲を通してゴンザガは、現在我々が持っている「ノルデスチ」のイメージを築き上げる役割を果たした。

亡命中のカエターノがアルバムの最後にカバー

 21年6月1日付フォーリャ紙(3)によれば、軍事政権中の1971年にリリースされたカエターノ・ヴェローゾのアルバム『Caetano Veloso』の最後の曲が「アーザ・ブランカ」のカバーだったのには、次のような理由がある。
 軍事政権が1968年に出した軍政令第5号(AI―5)の直後、反政府的な歌を作っているとしてカエターノとジルベルト・ジルは逮捕され、数カ月間投獄され、1969年にようやく釈放された。
 その直後に亡命を命じられ、当時26歳だったカエターノは英国へ渡り、このアルバムを1970年に収録した。すべての制作はカエターノが亡命中に行い、その際、この「アーザ・ブランカ」に故郷バイーア州への郷愁と、《私は約束するよ、泣かないでおくれ/必ず戻るから》という言葉に軍事政権崩壊への願いを込めたという。

サンパウロ市へ国内移住する北東伯人の哀愁歌った曲

〝バイオン王〟ルイス・ゴンザガ(Prefeitura de Belo Horizonte, Public domain, via Wikimedia Commons)
〝バイオン王〟ルイス・ゴンザガ(Prefeitura de Belo Horizonte, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼の曲の特徴は半砂漠セルトンという土地が運命的に持つ貧困、悲しみ、不正義についても歌い上げていることだ。その結果、社会派の骨太な曲となり、国民に広く愛されている。
 例えば『Triste Partida(悲しい旅立ち)』(4)には、干ばつで生活が成り立たなくなり、トラックに乗ってサンパウロに国内移住する北東伯人の哀愁が淡々と歌われている。その日本語訳を抜粋して載せる。
   ☆  ☆
雨が降らず、1月が過ぎ、2月が過ぎても、夏のまま。(神様)
そこで北東地方の人々は、心の中で思う。「これは罰だ、もう雨は降らない」(ああ)
3月に望みを託し、聖ヨゼフ様に祈るけれど、(神様)雨はまったく降らず、どうしようもなく、心に残る信仰も消えかける(ああ)
考えた末、家族を呼び集め、こう言い出す。(神様)「ロバも馬も全部売る。サンパウロに行こう、生きるか死ぬかだ」(ああ)
「サンパウロに行こう、状況はひどすぎる。他人の土地をさまよいながら、(神様)もし運命が優しければ、いつかまた、この地に戻るだろう」(ああ)
ロバやラバ、馬も売り払い、鶏さえも手放して、(神様)喜ぶ農場主が少しの金で、全てを買い取る。(ああ)
トラックに家族を乗せ、悲しい旅立ちの日が訪れる。(神様)すべてを飲み込む干ばつが、故郷から追い出すのだ(ああ)
トラックは丘を越え、故郷を見下ろしながら、心の故郷を見て別れを告げる。(神様)翌日、疲れ果てた家族は、走るトラックの中、(神様)悲しみの中で幼い息子が、涙ながらにこう言う(ああ)
「お父さん、僕、犬がかわいそうで泣きそうだよ。誰があの犬にご飯をあげるの?」(神様)もう一人の子が尋ねる。「お母さん、僕の猫はどうなるの?腹が空いて、きっと死んじゃうよ」(ああ)
小さな娘は震えながら尋ねる。「お母さん、私の人形や、花の鉢植えは?」(神様)「私のバラの木、枯れてしまうの?私の大切な人形も、置き去りのままだよ」(ああ)
こうして泣きながら、故郷を後にする家族(神様)美しい青空の下の故郷を、捨てていくのだ(ああ)父親は考えながら、トラックの中で、(神様)南の街へと進んでいく。(ああ)サンパウロに着いた彼らは、1銭も持たず、(神様)怯えながらも雇い主を探す(ああ)
見るのは知らない顔ばかり、知らない人々。すべてが故郷とは違う。(神様)彼らは2年、3年、さらにそれ以上働き続ける(神様)故郷に戻る計画を胸に抱きながら、でもその日は決して来ない。(ああ)
北部からの便りを、たまたま耳にすれば、(神様)胸に溢れる懐かしさ、涙が頬を伝う。(ああ)故郷を遠く離れ、干ばつの土地だけれど愛する地を離れ、(神様)雨の街で貧困に耐える(ああ)北でも南でも、勇敢で強い北東の人々が、奴隷のように生きていく(ああ)
  ☆  ☆ 
 読者の身の回りにいる北東伯人にも、きっとこの歌詞のような想いをした人もいるに違いない。
 だからサンパウロ市北部には「Centro de Tradições Nordestinas(CNT、北東伯伝統センター)」(5)が1991年に設立された。北東伯人の憩いの場であるだけでなく、北東伯訛りでアナウンサーがしゃべるラジオ局もあり、子供向けの文化継承の取り組みもしており、観光地としてイベントも多数行っている。週末の通常のショー、北東伯らしい特別イベントを提供している。郷土料理としてクスクス、カルネ・デ・ソル、サラパテル、ムケッカなども食べられる。住所(R. Jacofer, 615 - Limão, São Paulo - SP, 02712-070)

CTNのホームページ
CTNのホームページ

大都会に出てきた北東伯人の代弁をする歌詞

 サンパウロやリオに出てきた無数の北東伯人の代弁をする歌詞も多い。『No Ceará Não Tem Disso Não(セアラには、そんなことはありません)』(6)は、セルトンで育った純朴な者が、大都会のすれた生活に馴染めない違和感を込めている。その一部を日本語訳で抜粋する。


   ☆  ☆   
たとえ10年ここにいても、私は慣れることはありません。ここはすべてが違うのです、あの荒野の風習とは。何かを買おうとすると、必ずサメに出くわすような感じ。私は故郷に帰ります、最初のトラックに乗ってでも。
どうか皆さんお許しください、もう一度言わせてください。セアラには、そんなことはありません。そんなことはありません、そんなことはありません。
   ☆  ☆
 国内移住も一種の移民だ。北東伯訛りと生活習慣の違いを抱え、大都市サンパウロでの生活は辛いものだったに違いない。その思いを代弁してくれるゴンザガの歌が、都会に出た北東伯出身者に愛されたのは自然なことだろう。
 かつて日本でも、農業ができない冬に東北地方から東京などに出稼ぎに行く労働者がたくさんいた。彼らが泣く泣く故郷を離れる心情に重ねあわせると、近いかもしれない。もしくは戦前や終戦直後、日本では良い仕事が見つけられず、泣く泣く祖国を離れる移民にも似ているかもしれない。
 時々、沖縄県人会の青年らが沖縄民謡調「アーザ・ブランカ」(7)を披露しているのを見る。そのたびに、愛する沖縄の地を泣く泣く離れて、遠く南米の地まで来ざるを得なかったウチナンチューの心情にも、きっと似たものがあり、だからこの曲に共感が寄せられているのかもと思った。
 なお、本紙は21日(土)付が今年の通常版最終号となり、同時に新年号が発行される。新年は6日から業務開始で、7日付が新年初の通常版となる。だから当欄のコラム子の担当回は、これが今年最後。本年もご愛読をありがとうございました。新年もよろしくお願いします。(深)


(1)https://www.youtube.com/watch?v=zsFSHg2hxbc

(2)https://cbn.globo.com/cultura/noticia/2024/12/13/luiz-gonzaga-completa-112-anos-de-nascimento-ainda-marcado-na-historia-da-musica-brasileira.ghtml

(3)https://guia.folha.uol.com.br/streaming/2021/06/ouca-10-versoes-de-asa-branca-50-anos-apos-caetano-veloso-canta-la-contra-a-ditadura.shtml

(4)https://www.youtube.com/watch?v=DS6fRsfnzIw

(5)https://www.ctn.org.br/

(6)https://www.youtube.com/watch?v=zdMr0afNldA

(7)https://www.instagram.com/reel/C_JPPXqPYUH/


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