14発撃たれて生き残った医者=とっさの自己診断で冷静に対処

ダニエル・プロエンサ医師(17日付G1サイトの記事の一部)
ダニエル・プロエンサ医師(17日付G1サイトの記事の一部)

 「その場は処刑場のような光景だった」―17日放送のグローボ局番組ファンタスチコが、リオ市のキオスクで発生した医師3人が死亡した襲撃事件における、唯一の生存者ダニエル・プロエンサ医師(32歳)の証言を報道し、そんな言葉が語られた(1)。犯人はわずか20秒間に33発を発射し、うち14発が彼に当たったが、とっさに医学知識を活かして一命を取り留めていたことが分かった。
 10月5日未明にリオ市西部のバラ・ダ・チジュカ区海岸にある宿泊ホテル前の海岸にあった海の家で、4人の医師仲間がくつろいでビールを飲んでいたところ、襲撃される「医師4人襲撃事件」が発生した。当初、政治的対立が原因と疑われていたが、麻薬売人らが民兵組織(ミリシア)の一員と間違えた誤殺事件であったことが後に判明した。
 「私は(犯人に)背を向けていた。銃声が聞こえ始めたけど、ちょうどサッカーのフルミネンセがリベルタドーレス杯の準決勝への進出を決め、海岸沿いで花火を上げていたから、気付くのが遅れた。次の瞬間、背中に熱さを感じ、右手で顔を覆いながら地面に倒れこんで逃げようとしたけど、今度は右腕に激痛が走った。その時ようやく現実の深刻さを理解し始めた」と事件当日を振り返る。
 ダニエルさんによれば、襲撃中、自身の怪我の状態を確認し、生き残るための最善の処置を行うために「自己診断」を行った。「医師として冷静に対処した。できるだけ呼吸を抑え、心拍数を下げ、落ち着こうと心がけた。腹部に穴が開いていないかを確認するため嘔吐を試みた。体から血が流れているのが見えた。もしかしたら、これが私の闘病生活の始まりになるかもと直感した」と語った。
 左足、左脚、腕、左肩に銃弾を受け、さらに手をかすめ、靭帯が損傷していた。「私の頭に浮かんでいたのは昨年他界した父のことだった。生き残ったことにただ感謝した」。
 ダニエルさんは事件以来、2カ月半にわたり毎日理学療法を受けている。すでに5回の手術を受け、今後2回の手術を予定。1度目は人工肛門バッグを取り出すため、2度目は別の整形外科手術のためだ。
 事件後、「物事を少し違う視点から見るようになった。人生の儚さについて少し理解できるようになったし、日々大きな努力が必要だと感じて怯えることもある。リハビリの毎日だ。長いプロセスだが、毎日少しずつ課題を克服しようと胸に刻んでいる」と話す。
 「新しい私は患者になった私だが、今は人々が経験する困難や痛み、不安を理解しやすくなった。私は自分をもっと人間らしく感じている」とも述べた、
 ダニエルさんはこの事件が起こる前から、リオの治安の悪さに不安を抱いていた。「問題はリオ自体にある。10月5日が単に、生まれ変わった私の新しい誕生日としてだけではなく、不条理なことが起きた日として、二度と起きてはならない日として、あらゆる暴力と闘わなければならない日として記憶されるべきだ」と強調する。
 最後に「医師としての仕事に戻ったら、亡くなった3人の思いを大切にし、彼らの分まで仕事へ熱意を受け継ぐつもりだ」と締めくくった。

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