豊田豊さん=日伯繋ぐ「虹の架け橋」完成=28年越しの夢が実現=除幕式に知事、大使ら500人

豊田氏(左)とオランジ氏

 環境芸術家の豊田豊さん(92歳・山形県天童市)が日伯修好通商航海条約128周年を記念して製作した記念碑「虹の架け橋」の除幕式が10月28日午前、パラナ州ロンドリーナ市イビポラン区の野外彫刻ミュージアム「Parque Geminiani Momesso」にて行われた。

 同記念碑「虹の架け橋」の製作企画は、1995年の日伯修好100周年時にスタートした。記念碑は100年に渡って友好関係を保ち続けてきた日本とブラジルを結ぶ「虹の掛け橋」を表現し、横浜みなとみらい広場に設置された。

ブラジルに建てられた虹の架け橋

 当初の計画では、南米銀行が管理していた日伯修好100周年基金の余剰金を使い、ブラジル側にも相似形の記念碑を製作する予定だったが、同銀行の経営が傾き、98年にスダメリス銀行に吸収合併されると、製作計画も無くなってしまった。
 しかし、豊田さんはその後もブラジル側での記念碑製作を目指し、製作費の調達方法や建設場所を探していた。
 そこにイビポラン区でも屈指の大農家で自身も彫刻や美術作品の製作を手掛けるオランジ・モメッソ氏から、製作費と自身が所有する野外彫刻ミュージアム「Parque Geminiani Momesso」での建設場所援助の申し出があり、28年の歳月を経ての記念碑建造が実現した。
 湾曲した鋼鉄板を重ねてデザインされた記念碑は、移民船や日本とブラジル両国間に刻まれた友好の年輪を表している。鋼鉄板を支えるステンレスの曲線は、ジェット機を思わせるような近代的スピード感を表現している。記念碑は日本の方角に向けて設置されている。
 当日は、豊田氏やオランジ氏の家族、知人などを中心に約500人が集まり、来賓として林禎二駐ブラジル日本国特命全権大使や濵田圭司在クリチバ日本国総領事(当時)、江口雅之JICAブラジル事務所長、西森ルイス連邦下院議員らが出席した。
 除幕式翌日に行われた「山形県人会70周年式典」に合わせて来伯した吉村美栄子県知事や森田廣県議会議長、山形県農業協同組合中央会の安孫子常哉副会長、天童市の山本信治市長ら慶祝団13人、サンパウロ市から佐藤マリオ山形県人会会長や県人会員らも参加した。
 挨拶に立った豊田氏は、「この28年間、いつもこの虹空間モニュメントのことが頭にありました。歳も重ね、製作は叶わないと考えていました。そんな中、親愛なるオランジ氏から多大なご援助を受けたことは感謝してもしきれません。やっと日本とブラジル両国間を繋ぐ虹が完成したことはこの上ない幸せです」と述べた。
 オランジ氏は、「心から尊敬する豊田氏の作品が私のミュージアムに無事設置されて本当に嬉しく思います。これから新しい作品も展示してほしい。その為に必要なことがあれば援助します」と敬意を表した。

 来賓の林大使は、「『虹の架け橋』が無事製作、設置されたことを心からお祝い申し上げます。10月の一時帰国の際、横浜のモニュメントを拝見しましたが、立派に建てられていました。今回ブラジルにも無事建てられたことにより、28年越しに日伯友好の橋が完成しました。1895年の外交関係の成立から、今日までの間に、両国に橋を架けてくださった多くの関係者に改めて心から感謝の意を表します」と述べた。
 豊田氏の出身地である天童市の山本市長は「28年もの間、情熱を絶やさず日本とブラジル両国間に新たな虹をかけられた豊田さんに心からお祝いの言葉を贈りたいと思います。また、渡航から65年経つ今もブラジル美術界の第一線で活躍され続けていることに敬意を表します。豊田さんにはこれまで天童市美術館や市内の学校などに多くの作品を寄贈していただきました。天童市民の多くがその独創的な作品に魅了されました。豊田さんは山形と天童市の誇りです」と深謝した。

最新記事