「大切な赤ちゃんは大事に産むべき」=アマゾンで4人産んだ大槻さん

パラー州モンテ・アレグレ在住の大槻京子さん

 コムアイさんのアマゾン出産に関して、アマゾン川下流のパラー州モンテ・アレグレ市に50年住み、同地で4人の子供を産んだ戦後移住者の大槻京子さん(75歳、山梨県出身)に意見を聞いた。
 モンテ・アレグレ市は、アマゾン川河口最大の町ベレンと中流最大都市マナウスの中間地点にあるサンタレン市から下流方向に約120キロ進んだ場所に位置する熱帯雨林ど真ん中の町だ。人口は約6万人、人口密度はわずか3人/平方キロだという。
 大槻さんは1973年9月25日に渡伯。日本で就労した数年間を除いてずっと同市で暮らしてきた。4度の出産と、一度の流産経験がある。出産場所は現モンテ・アレグレ市立病院だ。
 大槻さんは「先住民集落でのお産についてどう思いますか?」との質問に対し、以下のように答えた。

重病治療は大都市病院のみ、交通手段確保が重要

 一言で言えば、やはり難しいことだと思われます。それでもどうしてもアマゾンでのお産を望むのなら、あらかじめ緊急事態の発生を想定し、車で1時間以内の所に医療機関があるかや、最悪の場合に小型機やヘリなどをすぐに呼べるか、頼れる大都市の病院はあるかなど、考えておくことが必要だと思います。
 私がパラー州の小規模移住地モンテ・アレグレに入植した1973年頃、町にはすでにSESPという政府系の病院があり、町や近郊の村民達の健康維持を一手に担っていました。当時から妊婦の定期検診や出産は大半の人がこの病院で済ませていたようです。こんな奥地にいながら、お産は無事に済ますことができ、後の3人の子供達も皆この病院でお世話になりました。
 とはいえ、こんな不便なアマゾンの田舎での最初のお産には、とても苦労したという思いが今でも強烈に残っています。お産の仕方も分からず、コミュニケーションも当時はままならず、最後には知り合いの日本人の方や主人も付き添いながら苦しい時を過ごしました。
 入植から半世紀が経ちましたが、現在のモンテ・アレグレでも重大な病気や大怪我の治療は難しく、ケースによってはサンタレンのアマゾン下流域総合病院に患者を送っているのが現状です。

自然豊かなアマゾンの中で暮らす大槻京子さん

主人めがけて鎌を振り下ろす労働者
騒動収拾の果てに流産

 最後に私の経験した流産の話をお話しします。こんなこともあった――ということで。
 あまり話さないことなのですが、今から約40年前のことで、入植地で主人が労働者たちに支払いをしていた最中、機嫌を悪くした一人の若いブラジル人労働者が、近くにあった長い鎌を突然主人めがけて振り下ろし、大きな騒ぎが起きました。
 そのブラジル人はもともと乱暴者だったそうです。刃物を振り回すブラジル人から、主人は必至で身をかわしました。ほかの労働者たちは2人をぐるりと囲み見物しているだけでした。
 子供達は皆幼く、私はと言えば、誰か助けてくれる人はいないか、とずっと走り回っていました。今思えば、滑稽な風景ですね。
 その後、何とか騒ぎも収まった夜、気がつけば流産が始まっていました。意識が薄れていく中で私は誰かに抱えられながら、車に乗り、町の病院に運ばれました。
 運よくその晩、腕の良い若い白人の医師がおり、すぐに全身麻酔で掻爬の手術をしてもらうことができました。朝が来るとすぐに退院でした。
 私の暮らす所は入植地から約60キロ離れており、事件が起きたその日は、運悪く家の車が故障で使えなかったのですが、当時はまだ近くの入植地に数軒の日本人家族がおり、私の事で連絡を受けた人たちが私を町まで運んでくれ、助けてくれました。
 おそらく日本にいたら、こんな際にも救急車に乗り、最寄りの病院で最新医療を受けられたことでしょう。

マナウスとベレンの中間にあるモンテ・アレグレ(グーグルマップより)

搬送間に合わず亡くなる人も

 他にも、共にモンテ・アレグレに入植していた主人の学生時代の仲間の奥さんも、ある日突然腸の病で倒れ、この町では手術のできる医師も見つからず、大病院に行く時間も間に合わず亡くなったケースもあり、未開の地の怖さが身に沁みました。
 何かに護られているのか、アマゾンのモンテ・アレグレで産まれた子らは皆元気で、有難く思っています。こんな場所に暮らしているからこそ、神様のご加護が与えられるのでしょうか。
 お産というのは大概無事に終わるのでしょうが、何が起こるのか分からない場合もあります。
 アマゾンの先住民の部落も、今では充実した医療支援もあるかと思いますが、アマゾンでの出産は、妊婦さんもよく自分の身体の状態を考えられて、臨むことが大事でしょう。
 大切な赤ちゃんは大事に産むべきだとも思います。子供に苦労はかけられますが、かけがえのない存在です。

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