県連ふるさと巡り南大河州編=誕生と終幕、南伯に新胎動=(9)=傷が癒えないサンタマリア=鉄道拠点から学園都市へ

ヴィラ・ベルガでの集合写真

 サンタマリア文協との交流の翌朝、ふるさと巡り一行はサンタマリア市の歴史文化遺産である「ヴィラ・ベルガ」の見学を行った。
 ヴィラ・ベルガは1907年、ベルギー鉄道会社「Compagnie Auxiliaire des Chemins de Fer au Brésil」の作業員用住宅街として、伝統的なベルギー家屋40軒が建築され、出来上がった。100年以上経った現在でも鉄道作業員の子孫らが同街区に住んでいる。
 同社は1898年にポルト・アレグレ―ウルグアイアーナ鉄道を建設。1905年に南大河州の全鉄道を管理下に置いたのを機に、タクァリ市からサンタマリア市に拠点を移した。
 サンタマリア市は地元鉄道の乗換地点になっていたほか、サンパウロ州イタラレ市とも鉄道線が繋がっており、1960年頃まで鉄道都市として広く知られていた。
 ヴィラ・ベルガの街並みは、塗装などの補修が行われたのみで、建物自体は建設当時そのままの姿。同街区創設当時は薬局や肉屋、病院、学校、パン屋、ビスケット工場、コーヒー工場、石鹸工場、鉄道作業員クラブ、産業組合などが設けられていた。
 同街区の設計は鉄道会社の幹部を務めていた建築士のグスタヴェ・バウティエ氏によるもの。
 会社幹部らはヴィラ・ベルガではなく、サンタマリア市の主要通りのリオ・ブランコ大通りに住んでいた。建築士のグスタヴェ氏の屋敷は火事で残っていないが、幹部だったマノエル・リバス氏の屋敷は同大通りの303番に残っている。
 10年前、人口30万人の閑静な地方都市であるサンタマリア市を悲劇が襲った。242人の学生が死亡するというボアッチ・キス火災事故だ。

ヴィラ・ベルガで説明を受けている一行

 ツアーで使用していた大型バスでは現場の前の道が通れず、案内コースには含まれなかった。
 ガイドのクローテルさんは「事件後、町全体が60日間喪に服した。車の騒音すら聞こえなくなったほど町中が悲嘆にくれた」と振り返り、友人の息子など知り合いが被害に遭ったと話した。
 2023年1月27日付のグローボサイトによると、慰霊記念碑建設計画の申請に承認は下りているが、資金がないため実行に移せていないという。
 同市は建設支援に対し積極的な姿勢を見せている。だが、容疑者4人に対する裁判が途中で無効にされ、判決がおりていない。同市は裁判の結審を待って建設を進める意向だという。
 ガイドのクローテルさんは「権力者の息子が巻き込まれていたら結果は別だっただろうさ」と不満そうに愚痴った。市民の心の中で、悲劇の傷はまだ癒えてないと感じさせられた。
 一行はベルギー伝統の街並みや市内の協会などを観光し、サンタマリア市から州都ポルト・アレグレに向けて出発した。(続く、仲村渠アンドレ記者)

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