ノーベル文学賞作家=新検死でネルーダ毒殺判明=チリ軍事政権の発足直後に

ネルーダ(wikipedia)
ネルーダ(wikipedia)

 ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人で、1973年のピノチェト軍事政権樹立の年に亡くなったパブロ・ネルーダ(1904―73年)が国際的な検死の結果、毒殺であると判断された。14、15日付現地紙、サイトが報じている。
 1971年に南米では初となるノーベル文学賞を受賞したネルーダは、1973年9月23日、ピノチェト軍事政権が樹立された12日後に世を去った。その当時は、かねてから治療中と言われていた前立腺癌での死だと伝えられていた。
 ネルーダは長年のチリ共産党員で、1940年代には共産党禁止でイタリアに逃亡。社会主義のアジェンデ政権が樹立された1970年の大統領選でも出馬が有力視されていた。そこで、2011年にチリ共産党が国際的な検死を求めていた。
 すると、2017年に、ネルーダの遺骨の内、歯にバクテリアが付着していたことが判明。これで前立腺癌で死亡した可能性が後退していた。
 そして今回、カナダのマクマスター大学とデンマークのコペンハーゲン大学の研究員が、調査の結果、このバクテリアがネルーダの亡くなる前から存在していたものであることを証明。ネルーダの運転手を務めていたマヌエル・アラヤ氏がかねてから毒殺死を唱えるなど、この死には謎がつきまとっていた。
 ネルーダの遺族の弁護士を務めるエリザベス・フローレス氏は、ネルーダは癌を患っていたものの、すぐに亡くなるような重いものではなかった、との証言を行っている。
 また、甥のロドルフォ・レイエスさんは、ネルーダは亡くなる数日前、メキシコへの逃亡を試みていたと語っている。

最新記事