特別寄稿=あの頃のこと=サンパウロ短歌会の思い出=サンパウロ州サンロッケ市在住=高橋暎子

1949年2月にカンタレイラ街の新トキワ食堂で開催された第1回全伯短歌大会の様子
1949年2月にカンタレイラ街の新トキワ食堂で開催された第1回全伯短歌大会の様子

 とうとう八十五年の伝統を持つサンパウロ短歌会が、幕を閉じました。コロナ禍の中、会員の高齢化の寄る年波には勝てず、閉会を余儀なくされたのでした。寂しい限りです。
 私が武本良夫さんの勧めで、拙い作品を下げてサンパウロ歌会に、初めて出席したのは、今から四十年前でした。その時に携えた作品が「たれこめし雲の切れ目がひとすじの朱となりつつ陽は沈みゆく」という作品でした。ところが、対象に対する確かな目と集中力の良さという評価を得て、思いがけず二位という高点歌に入り、気を良くしたのが会員となったきっかけでした。
 初めて出席した歌会で出会った女性歌人の方々は、昔の女学校の先生とは、こんな方々ではなかったかという理性と品格を備えた方々でした。移住当時の開拓の精神と、祖国の敗戦という激動の時期を外地で迎え、乗り越えて来られた作品群には、魅力のある作品が多かったようでした。

武本良夫さん
武本良夫さん

 当時のサンパウロ歌会を語るのに、武本由夫先生の存在を欠かすことは出来ません。(私がサンパウロ日本文化協会勤務の頃、同じ職員でおられた頃は「武本さん」と呼んでおりましたが、歌会では、指導的立場でおられ、皆さん「先生」と呼んでおられました)
 武本先生は、岡山県のお寺の出身でした。中学を卒業後、仕事にも就かず、ぶらぶらしている先生を、厳しいお父上が「近くにブラジルに移住する家族があるから、お前も一緒にブラジルへ行け」と勧められて構成家族の一員として、ブラジルへ移住してこられたのでした。厳しい父の勧めや教えに素直に従う先生です。全て自然のままに流れのままにといった、金銭欲や名誉欲のない飄々とした方でした。
 ある日の歌会でのこと。先生はお弟子の一人である陣内さんに自分の歌を、「これは全く下手な歌で…」と単刀直入に評されたことがありました。ですが、人生は流れのままにという主義の先生は、それに反論することもなく、全くその通りと言わんばかりに、「ニコニコ」と聞いておられたのでした。
 又、私が武本先生と席を隣り合わせに座った日のこと。会の初めに配られた作品のリストの一首を指して、「これは僕の歌だよ。あんたこれに入れんかね」と言われるのでした。
 それに対して私は何と答えたか。記憶に定かではありませんが、「先生でもお点が欲しいのですか?」とか、「他に良い歌がありますから」と、遠慮容赦もなく答えた気がします。それでも先生は、「そうかね」と笑っておられたものでした。全く飾りっ気も屈託もない方でした。
 会は高点歌の順に、指名された人によって、批評鑑賞なされたのでした。ですが、最後の締めは、常に武本先生によってなされました。その最後の結論は皆になるほどと思わせるものであり大いに勉強になったものでした。
 当時の戦後歌人といえば小池みさ子さんと並んで私の他におられたかどうかでした。新人の私達は、先輩歌人の方々から「それではただの散文」とか、「読み終わってから何の感動もない、単にそうですか、それがどうしましたかとしか言えない、そうですか歌でしかない」などと厳しい批評を受けながら、赤面して小さくなっていたものでした。が、当時の歌会は、厳しい中にも司会者には適当なユーモアもあり、和気あいあい実りのある楽しいものでした。
 同じ戦後の新人歌人で、年齢も近いということもある四十年前当時の小池みさ子さんの作品には、心に沁みて、いつまでも記憶の底に残っている歌があります。「もたれいし大樹が突然倒れしごと夫は逝きたり六月十日」「はるばると帰り来しふるさと老い母と床共にして春雨を聞く」などなど、、、
 しかし、あれから四十年、傾向も日本の作品の影響を受けて、コロニア短歌も随分変遷を遂げてきました。

2009年9月に開催された全伯短歌大会の参加者の皆さん(高橋さんは左側の柱時計の右)
2009年9月に開催された全伯短歌大会の参加者の皆さん(高橋さんは左側の柱時計の右)

 当時のように写実一辺倒ではなく、前衛調だったり、言葉のゲームのようなものだったりと、コロニア短歌も時代の流れに逆らうことなく続いてきた八十五年でした。恐らく海外においては最も古く、最も長く続いた短歌会ではないでしょうか。
 短歌の傾向がどう変わろうとも、短歌会が八十五年も続いたということは凄いことです。
 ここまで続けてこられた世話人の方々、会員の方々への感謝の気持ち、そして、数々の歌を残して天国へと去って逝かれた先輩諸氏同胞のお仲間の方々への追悼の思いを忘れてはなりません。何より作歌という同じ志を持った方々との間に、歌の友として深い絆の育まれた、伝統あるサンパウロ歌会でした。

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