「誰よりも足が速く、スポーツはなにをやっても一番だった」とカウアン・オカモトさんは中学時代を楽しそうに思い出す。一方で「ブラジル人だから足が速い」と周囲の嫉妬も感じていた。
部活はバスケ部に入部した。水泳を12年間習っていたが「水泳は活躍してもモテない。逆にバスケは活躍すればモテるから選んだ。未経験だったけど、入部してから上手くなればいいと思った」という。
だが、中学に入学したのと同時に素行が悪くなっていった。。当時の地元には暴走族も多く、夜中に喧嘩することも珍しくなかった。「暴走族は日本人とブラジル人が多かった。喧嘩は売られることが多かったけど、全員返り討ちにしてやった。喧嘩に負けたことはないよ」と笑い飛ばす。
喧嘩や喫煙、夜中にバイクで走ったりしていると、中学2年生の時、部活を出禁になった。部活でプレーさせてもらえない分、近所の公園へ行きストリートバスケに夢中になった。
「ずっとストリートでフィリピン人や黒人とバスケやっていたから、部員のだれよりもうまかった」。しかし、部活で輝きたい気持ちは残っており「俺はなにをやっても輝けるのに、なぜ評価されないんだ…」と落ち込んだ。
両親からは「勉強しなかったら、お前は工場行きだぞ」と言われるも、「どうせ工場へ行くなら、今のうちに遊ぶしかない」と開き直り、遊びに明け暮れた。そんな時、ふとカナダ出身の人気歌手ジャスティン・ビーバーのドキュメンタリー「NeverSayNever」のDVDを観た。
「…心の底から感動した」
気づいたら涙が頬を流れていた。
「俺と生き方がめちゃくちゃ似ている。俺は、今まで夢に見ていたスターの生き方をしていたんだ!」と励まされたような気持ちになった。
ジャスティン・ビーバーのような裕福な家庭に生まれていなくても、社会のはみ出し者と感じていても、シングルマザーの母のために一生懸命頑張り、大スターに成りあがった彼の様になろうと、必死に自分を重ね合わせた。
ジャスティン・ビーバーの曲を聴き感動したカウアンさんは、「俺は日本人みたいに勉強も部活もまじめに出来ない。この道で一生懸命頑張って、工場働きの両親を楽にするんだ」と腹の底から決意した。
ところが、両親に「歌手になりたい」と告げると、「カウアンの顔はかっこいいけど、歌とダンスが微妙だね」とばっさり。「第1歩としてモデルやりなよ」と勧められ、地元の名古屋を始め、東京などのモデル事務所に片っ端からオファーをかけた。(続く=松永エリケ記者)
中学時代を振り返ってカウアンが作ったMV『オルゴール』
【参考リンク】
2023年4月27日【ブラジル日報】元ジャニーズ=カウアン・オカモトが性被害告発=「現実だと思えなかった」=芸能事務所に真摯な対応求める
2023年1月31日【ブラジル日報】はみ出し4世がアーティストに ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト(4)「日伯股にかけたスターになる」
2023年1月31日【ブラジル日報】はみ出し4世がアーティストに ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト(3)ジャニーさん「歌っちゃおうか」
2023年1月28日【ブラジル日報】はみ出し4世がアーティストに ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト(2)喧嘩三昧の中で心の歌と出会う
2023年1月27日【ブラジル日報】はみ出し4世がアーティストに=ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト (1) 強い孤立感「日本人じゃない」
2020年3月12日【ニッケイ新聞】地球の反対側から世界目指す!=元ジャニーズJr.岡本カウアン=ブラジル人気番組でデビューへ