「サッカーの王様」ペレの軌跡=第5回=現役引退後のペレ=政界入りからスキャンダルまで

通夜の際のペレ(Ivan Storti/Santos FC)
通夜の際のペレ(Ivan Storti/Santos FC)

 連載最終回は、華々しかったサッカー選手としての現役生活を終えた後の「その後のペレ」に迫る。
 引退後のペレは指導者の道には進まず、「サッカーの王様」としてのイメージを生かした活動が目立った。
 1981年はハリウッド映画「勝利への脱出」に出演する。この映画は「ロッキー」でおなじみのシルベスター・スタローンの主演作で、第2次世界大戦の際のドイツの連合軍捕虜とドイツ代表によるサッカーの試合を描いたもの。ペレは連合軍兵士役とサッカーのコーディネーター役を務め、劇中で華麗なオーバーヘッドキックを披露している。これを皮切りに、80年代はハリウッドやブラジルの映画に積極的に出演。役柄はサッカー絡みがほとんどだった。
 また、この時代はペレの私生活も注目された。ペレは1978年に最初の妻ロゼメリさんと離婚し、以来18年間独身だったが、80年代初頭、当時まだ17歳だった白人モデルで、後に国際的な子供番組の司会者となるシューシャとの恋愛が大きな芸能ゴシップとなった。シューシャとの別離後は2人のミスブラジルと交際後、1996年にゴスペル歌手のアシリア・レモス・セイシャスさん(2008年離婚)、2016年に日系人のマルシア・アオキさんと結婚。マルシアさんが最期を看取った。
 ペレは政界入りにも興味を示し、1995年~98年5月はカルドーゾ政権でスポーツ相を務めた。1974年のW杯招集を拒否した理由には「軍政との仲が険悪だった」ことをあげており、大統領の直接選挙を求める1983年の「ジレッタス・ジャー」運動にも参加。89年の大統領選復活に際しては、94年の大統領選出馬の意向も話していたが、実現はしていない。
 2000年代は私生活で波乱が続き、02年には自身2度目の婚外子の存在が明らかになり、05年にはサントスのゴールキーパーだった長男エジーニョが麻薬取引で逮捕。06年には最初の婚外子だったサンドラさんが癌のため、42歳の若さで世を去った。
 2010年代は体調不良が続き、2012年に大腿骨、14年に腎臓結石、15年に背中の手術を行い、21年には死因となった結腸癌も発覚していた。
 ペレは22年のW杯を見届けて逝った。このW杯ではサントスの後輩ネイマールがペレの持っていたブラジル代表記録の77得点に並んだが、1位タイのまま世を去った。(完)

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