ペレ葬儀=通夜にルーラら23万人参列=父や弟も眠る霊園で永眠=サッカーと対話で平和に貢献

遺族らと手をつなぎ、ペレの遺体を囲むルーラ大統領夫妻(Ricardo Stuckert/Divulgação)
遺族らと手をつなぎ、ペレの遺体を囲むルーラ大統領夫妻(Ricardo Stuckert/Divulgação)
息子のエジーニョ氏と挨拶を交わすルーラ大統領(Ricardo Stuckert/Divulgação)
息子のエジーニョ氏と挨拶を交わすルーラ大統領(Ricardo Stuckert/Divulgação)

 【既報関連】12月29日に結腸癌の転移後に生じた多臓器不全で逝去したペレの遺体が3日、サンパウロ州サントス市のメモリアル・ネクロポレ・エクメニカに運ばれ、永久の眠りについたと同日付現地サイトなどが報じた。
 世界で唯一、W杯で3度の優勝を経験し、ブラジルのサッカーを世界に通用するレベルに押し上げた上、スポーツが持つ力と対話を通して世界平和に貢献した親善大使としても知られたペレの死は、世界中に衝撃を与えた。
 2日未明にサンパウロ市からサントス市に移された遺体は2日午前10時からの24時間、サントスFCのヴィラ・ベルミロ・スタジアムで通夜の会場に安置された。
 夜を徹しての通夜は一般公開されており、23万人以上が参列。2日の参列者にはペレと共にプレーしたサッカー選手やジャンニ・インファンティーノ国際サッカー連盟(FIFA)会長、タルシジオ・デ・フレイタス・サンパウロ州知事、ペレの生地のミナス州トレス・コラソンエス市のジョゼ・ロベルト・デ・パイヴァ市長、ジルマル・メンデス最高裁判事らが含まれ、3日はルーラ大統領夫妻など、国内外から駆けつけた人々が最後の別れを告げ、心からの感謝を表した。
 他方、サントスFC出身のネイマールやペレとも親交があったフランスのエムバペら、参列を望みながら、所属チームからの許可が得られず、涙をのんだ関係者も数多い。
 通夜終了後は国旗とサントスFC旗で覆った棺を載せた消防車両が市中パレードを行って、多くの会衆が沿道から別れを告げた。消防車両は、11月に100歳となり、外出もままならないペレの母親のセレステ氏を配慮し、同氏が住むカナル6まで迂回。正午頃、カナル6で一時停止後、霊園に向かった。

棺を載せて市内をパレードする消防車両と沿道から別れを告げる人々(Rovena Rosa/Agencia Brasil)
棺を載せて市内をパレードする消防車両と沿道から別れを告げる人々(Rovena Rosa/Agencia Brasil)

 この霊園は世界一高い14階建て(通常の建物なら40階建て相当)で、1万8千基以上の場所がある。周囲には自然林が残り、鯉や亀がいる池もある。
 霊園での葬儀は午後2時過ぎから家族・近親者のみで行われた。ペレの遺体を納めるのは父親の背番号だった9階で、約1キロ先のヴェラ・ベルミロ・スタジアムが展望できる場所とされていたが、霊園側の提案で、敷地内1階の特別な霊廟に埋葬される事になった。これはより多くの人が訪問できるようにするためで、サントス市役所はこの霊廟を市の公式観光スポットとする意向だ。
 ペレの通夜や葬儀の様子を取材したのはブラジルのメディアだけではなく、32カ国から1千人以上の取材者が現場につめていた。沿道からペレを見送った人の数は計測できない。
 ペレの逝去後は3~7日間の服喪を宣言した国や自治体も多く、彼が残したレガシーや人望、敬意の大きさを物語った。
 また、FIFAのインファンティーノ会長が2日、加盟国に呼びかけ、1分間の黙祷を行うと共に、各国に最低1カ所、ペレの名前を冠したスタジアムを設けるよう要望するなど、ペレの名や業績を語り継ぐ動きも継続。3日にはリオ市のパエス市長が、マラカナン・スタジアムの傍の通りをペレ大通りと改名し、4日付官報に掲載する意向も表明している。

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