在伯沖縄青年協会が解散=創立65周年式典の節目に

創立65周年記念式典に出席した沖縄産業開発青年隊のメンバー

 在伯沖縄青年協会(元沖縄産業開発青年隊、石川繁会長)の創立65周年記念式典(知念直義(なおよし)実行委員長)が、11日正午からサンパウロ市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館で開催され、式典中の総会で同協会の解散が正式に決議された。解散は、会員の高齢化と規模縮小により、協会の運営維持が年々困難になってきたことによるもの。式典には青年隊とその家族や知人ら約130人が一堂に会し、感謝状贈呈や余興も行われた。

 沖縄産業開発青年隊は、第2次世界大戦後の復興が遅れていた沖縄で海外移民及び郷土の中堅として活躍しようとする同県内の青年たちに共同生活、講義や実習を通して技術・精神力を身に付けさせることを目的に、1955年に設立された。
 その後、沖縄産業開発青年協会(初代理事長は瑞慶覧長仁(ずけらん・ちょうじん)氏)の送り出しにより、57年4月に第1次隊30人がサントス港に到着。同9月に第2次隊43人、同10月に第3次隊25人の計98人の着伯を起点に、64年の第14次隊まで303人がブラジルの土を踏み、女子青年隊を含めると計328人が海を渡ってきた。
 松本正雄副会長(第10次)の開会宣言で始まった創立65周年記念式典では、最初に先亡者への黙とうが行われた。続いて、石川会長(第5次)が式辞を述べ、300人以上が渡伯した当時の青年隊も現在は50~60人と人数が少なくなり、平均年齢も80歳を超えるなど高齢化が進んでいる状況を説明した。今年8月27日の緊急役員会で、今後の協会運営維持が困難であるため、解散することを全会一致で決定したことに言及。青年隊の各人が苦難の道のりを「友愛」と「助け合い」の精神で乗り越えてきたとし、これまで支えてくれた沖縄県人会や沖縄文化センターなど関係者の協力に感謝の意を表した。
 その後、「在伯沖縄青年協会の解消か存続について」の議題で総会が行われ、同協会の解散が正式に決議された。
 引き続き、歴代の会計と書記を務めた親富祖(おやふそ)政吉氏(第4次)、神山(かみやま)義美氏(第4次)、小波津幸吉氏(第10次)、大嶺真治氏(第12次)、金城(きん
じょう)孝吉氏(第9次)の5人に感謝状と金一封が贈呈された。 
 今月25日で94歳になる長老格の山城勇氏(第4次)は沖縄産業開発青年隊発足の経緯等について、当時の沖縄産業開発青年協会理事長だった瑞慶覧氏と沖縄県人会の会長だった花城清安(せいあん)氏の話し合いでまとまったことに触れた。その上で、「(解散は)寂しくもあるが、最後の務めを果たすという意味で、我々青年隊が歩んできた道のりを思い起こす良い機会」と位置付けた。
 野原広善(こうぜん)氏(87、第2次)の乾杯の音頭により、食事に移行。高良律正沖縄県人会長、与那嶺真次元会長、島袋栄喜元会長の祝辞の後に余興となり、『かぎやで風(ふ
う)』の踊り、サンマテウス支部婦人部の団体踊りやカラオケなどが披露された。
 その後、記念のケーキカットも行われ、青年隊メンバーを中心に出席者全員で『パラベンス・パラ・ヴォセ』を歌って節目の年を祝った。
 第2次女子青年隊として出席していた与儀米子(よねこ)さん(78)は「解散するのは寂しいですが、(沖縄県)名護キャンプで行った3カ月の事前研修は一生忘れることができない良い思い出となっています」と感慨深げな表情を見せていた。

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