連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第64話

 ・四月二十八日(月)雨のち晴 午後四時までにホテル・ニュージャパンに入ることになっているので、荷物の準備などして、東京行き快速で向かい、三時半にチェックインする。そこで偶然、ブラジルの私達の友人、カウカイアの藤田さんの奥さんと会う、同じ飛行機でブラジルに帰ると言う。
 夕食は信代さんと弟、三美の案内で赤坂に行き、釜飯をごちそうになった。
・四月二十九日(火)晴 私達が日本を発つ日は天皇誕生日であった。その日は皇居参賀が行われると聞いて、藤田さんの奥さんとタクシーで行き、天皇の生のお姿を拝見でき、光栄の至りであった。
・四時に成田空港着、千葉の姉弟達、ぬいの母さん、それに丸子、裕子、亮子姉達とその夫達などの見送りを受けて、夕方七時搭乗、七時四十五分、日本の夜の明かりが遠く見えなくなると〈いざ再び日本を離れりにけり〉の感慨にひたった。
・四月三十日(水) もし、予定の時間にサンパウロに着けば、四月三十日の早朝には家族の皆と出迎えを受けていたはずなのに、とんだハプニングに出会ったのである。アラスカのアンカレッジ空港現地時間朝七時着、一時間半後の八時半に出発、ニューヨーク着が現地時間の夜の九時半(伯時間夜十一時)同空港を零時に出発、午前二時三十五分カリブ海のプエルトリコの首都、サンファンに緊急着陸したのである。
 私達は意味が解らないままに八時間以上も機内に座ったまま。やっと飛行機の空気調節機能に異状があり、その部品をニューヨークから取り寄せる手続き中だとの話しである。皆、不安な気持ちで係員の指示待ち、その間に空港ロビーに移り、同乗の人達と話していると、斉藤さんや細島出身の近藤さんと会う。係員の話では部品到着が夕方八時頃なので、出発は明朝七時頃の予定で、皆さん、今夜はホテルに案内しますと知らされる。私達は藤田さんの奥さんと一緒に部屋をとり、夕食後はそのホテル内にあるカジノに遊んだ。初めての経験で大きな貸し背広を借りて、ルーレットなど簡単な遊びに少しの金を使った。
・五月一日 朝四時に目覚め、六時にロビーに出て、午前七時(伯時間八時)にサンファン空港を離陸、午後二時三十分サンパウロのビラコッポス空港に着いた。巳知治、るり子、ミゲール、藤岡の奥さんの出迎えを受ける。この出迎えの人達は二度も足を運んで大変気の毒なことをした。車での帰途、ピニェイロスで夕食、懐かしの我が家に着いたのは夜九時前であった。粗末な我が家であったが、何かホッとした心の落ち着きを感じた。

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