《ブラジル》ジョー・ソアレス死去=お笑い芸人から名司会者に

ジョー・ソアレス(Fm P@s, remix de Olimor.,via Wikimedia Commons)

 ブラジル芸能史を代表するコメディアンであり、名司会者でもあったジョー・ソアレスが5日、入院先のサンパウロ市シリオ・リバネス病院で死去した。84歳だった。5日付現地サイトが報じている。
 ジョーは1938年にリオで生まれ、12歳頃からは父親の仕事の都合でスイスで育った。17歳で帰国後、俳優の道を歩み始め、50年代半ばからは映画や、まだ草創期だったテレビ番組に出演するようになる。
 脚光を浴び始めたのは1967年のレコルデ局のコメディ番組「ファミリア・トラポ」だ。当初は放送作家としての参加だったが、役を与えられ、注目された。70年代にグローボ局と契約すると、「サチリコム」(73年)、「オ・プラネッタ・ドス・オーメン」(77年)がヒット。さらに、1981年から放送された「ヴィヴァ・オ・ゴルド」は記録的な大ヒットとなり、ここで彼が演じた同性愛者のスーパーマン「カピトン・ゲイ」や、ブラジル社会を風刺した王様「レイジーニョ」などは流行ギャグとなった。当時の彼はシコ・アニージオやオス・トラパリョンエスと並ぶ、ブラジルを代表するお笑いタレントだった。
 1980年代後半にジョーは深夜のトークショーの司会者に転身。SBT局の「ジョー・ソアレス オンゼ・エ・メイア」(88〜99年)や、グローボ局の「プログラマ・ド・ジョー」(2000〜16年)はともに長寿番組となり、名司会者として知られるようになった。
 番組内ではカルドーゾ、ルーラ、ジウマなど歴代大統領を含む政治家やロナウドやネイマールなどの大物サッカー選手、音楽家、映画俳優など数多くの有名人から無名の興味深い人物までをゲストに招いており、そのインタビューがニュースになることもしばしばあった。
 同番組内では女性ジャーナリストの対談コーナーが大好評を博し、多くの女性コメンテーターが育った。芸人や司会者以外にも俳優、小説家、音楽家、映画監督などマルチな才能を発揮していた。
 ジョーは7月28日から入院していたが、病名は明らかにされていない。葬儀と埋葬は5日のうちに近親者だけで行われた。

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