《特別寄稿》誰も書かなかった日伯音楽交流史=坂尾英矩=14=マリキータの希望をかなえた海上自衛隊音楽隊

ブラジル音楽の大ファンだった帆足まり子さん

ロベルト・カルロスと筆者(1981年)

 ブラジルの歌謡王とはロベルト・カルロスの別名になっているほど世間で認められている。ヒット曲、レコード売上げ、人気の持続、ファン層の広さ等、どの数字を見てもトップの座は60年ほど経った今でもまだ揺るぎ無い。
 ボサノーヴァによってブラジル音楽に目覚めた日本の音楽産業は、当然のことながら早速この王様のレコードを発売したのだが、期待に反して全然売れなかった。日本人にとってブラジルと言えばサンバ、ボサノーヴァという先入観が確立してしまったので、ロマンチックなロック・ポップ調のロベルトには興味を引かれなかったのであろう。
 ところが「この人の曲いいわねぇ」と惚れ込んだ人がいた。それは文化放送S盤アワーの人気DJ帆足まり子さんだったのである。年配のラテン音楽ファンにはお馴染みだが、彼女自身も宝とも子や宮城まり子と並び称される歌手だったし、御主人の三村秀次郎氏と組んでマリキータ&ジローというデュエットを組んで活躍した上に、日本ラテンアメリカ文化交流協会会長を務めた功績は大きい。
 しかしメキシコの有名歌手アルマンド・マンサネーロとも親しく、NHKスペイン語会話番組も担当したことがある彼女が、ブラジル音楽の大ファンだったことは、知る人ぞ知る、なのである。
 国際交流基金派遣事業で4回もリオとサンパウロで公演しているし、ブラジルからはナイロー・アゼべード、マウリシオ・カリーリョというショーロ界の重鎮やテカ・カラザンスなんて一般に知られていないベテラン歌手を日本へ招へいしているのだ。
 また池袋サンシャインで催されたJALブラジル直行便記念トラベルフェアに出演したミス・ブラジル、コカ・バレエ団とパウ・ブラジル&オーケストラに同行したセビオン、ラッチーニョ、オズワルディーニョ・ダ・クイッカ等、サンパウロを代表するリズムの大御所3人を高級中華飯店へ接待して交流を深めたのは語り草となっている。残念ながら働き盛りの2003年に亡くなったのは日伯文化交流活動上の大きな損失だった。

歌謡王にジャケット用一筆をお願いするも

帆足まり子氏の慧眼を称える1993年度練習艦隊連絡士官坂尾2佐

 私が在サンパウロ総領事館広報文化班に勤務していた時、帆足まり子さんから「自分が歌うロベルト・カルロス曲集の制作を計画しているので、その際にはジャケット用に一筆書いてもらえるか伺いたい」という依頼を受けた。そこで彼女が来伯した折にサントアンドレ市で催されていたロベルト・カルロス・ショーの楽屋訪問を面倒な手続きを踏んで実現したのである。
 閉幕してからまり子さんの感想を聞いたら、意外なことにはロベルトの歌についてのコメントではなくて「オーケストラの一番ペットすごいわね」と感心していたのである。これは大きな驚きであった。ビッグバンドのブラスセクションから一人だけ見分けるなんて余程の経験と良い耳を持っていなければ出来ない。

米国ジャズ誌で称賛されたマギーニョ(サンパウロの傑出音楽家20人写真集、SESC Bom Retiro出版2012年)

 このトランぺッターはロベルトの初期からの伴奏グループRC7のリーダー、マギーニョだった。米国のジャズマン、リー・モーガンが絶賛した人で、ブラジル音楽界では人柄も敬愛されている演奏家なのである。 
 ジャケットの一筆については事務所に話しておくとロベルトが答えたので待っていたら、マネージャーのセルジオ・オレンステインから私宛に「この種の依頼は非常に多いので一人引き受けたら後で対応しきれないから応じられません」との回答であった。
 彼女は「会った時は良い感じだったのにね」と信じられない様子だったが、マネージャーからの電話によれば「ロベルトは面と向かっている時は調子が良い性格なので、同じようなケースが度々あって困っている」との釈明だった。

海自練習艦が着岸時にロベカル「アミーゴ」

 ところで海上自衛隊練習艦隊が4年ごとにブラジル訪問する際、私は1972年度から連絡士官を拝命されていたが、ある年に総領事から呼ばれて相談を受けた。練習艦隊訪伯にあたり音楽隊演奏用に適当なブラジル曲を選んでもらいたい、との公信だった。
 「僕は音痴で何も分からんから二、三曲譜面を調達してくれよ」と総領事に頼まれたとたんに、私は帆足まり子さんの言葉を思い出したのである。彼女は私が練習艦隊訪伯時にサントス港湾司令部管区におけるリエゾン勤務をしていることを知っていた。
 そしてある時、私に「海自の軍楽隊はブラジル曲のレパートリーなんか持ってないでしょ。ロベルト・カルロスの『アミーゴ』は最適だと思うんだけどね。岸壁に係留する時に演奏したら最高よ。大ヒットだから誰でも知ってるし、親密感が高まって受けるわよ」なんて言ったのである。
 この言葉が私の印象に残っていたのは音楽上の理由ではなくて、実は、まり子さんが「軍楽隊」と言ったからなのだ。私と同世代戦中派の彼女にとって、軍艦に派遣されている音楽隊を軍楽隊と呼ぶ表現が自然に出たのである。
 自衛隊は軍隊ではないと言う戦後生まれの人にとっては「音楽隊」が当たり前なのだ。私は早速「アミーゴ」の他数曲譜面を集めて送付した。
 サントス港に練習艦隊が入港した時、私はいつものようにブラジル海軍の内火艇で沖合の「かとり」に乗船してブリッジの司令官の横にいた。港の入り口にあるポンタ・ダ・プライア岬に大勢の人が集まっているのを双眼鏡で観ていた副官が大きな軍艦旗を見つけて「司令官、手旗信号を送ってます。軍艦マーチはどうした、と言っております」と叫んだ。

 ブラジルの日系社会には「桜花会」という帝国海軍OBの集まりがあって年々メンバーは減っているが、その当時はまだかなりの人数が第三種軍装の戦闘帽をかぶって出迎えていたのである。音楽隊は甲板で待機していたが、まだ遠いので演奏はしていなかった。
 そして接岸時に音楽隊が「アミーゴ」のイントロ演奏をし始めたとたんに、岸壁の大衆から拍手と歓声がわいた。タラップが下りて私が総領事館用車との打ち合わせに駆け降りると、ブラジル人の中年紳士が私に「ロベルト・カルロスの曲よかったよ」ときれいな日本語で話しかけてきたのは驚きだった。
 名刺を見たらサントスの「デスタッキ」という月刊誌のアディルソン社主で日本語ペラペラだった。私はその時に音楽は人の心の中に入る大きな力があると痛感してマリキータさんのお陰だとつくづく思ったのである。 先日カーラジオから突然に「アミーゴ」が流れた時、懐かしさがぐっとこみ上げてきた。
 そう言えば帆足まり子さん、あなたの会社名も「アミーゴ」でしたね。

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