ロライマ州ボアビスタの日系コミュニティ=少数精鋭、尊敬される日系人9=日本人移民先駆者の江田家

江田テツさん
江田テツさん

 「もう私はマクシー」と第一声に発するのは、江田テツさん(1950年、福島県生)。日本語もほとんど話すことはない。マクシーとはボアビスタからベネズエラ国境にかけて暮らしていた先住民で、現在はボアビスタ住民の呼称にもなっている。
 テツさんは1955年、5歳の時に、父クラノスケさんと母スイさん、兄二人と姉一人でブラジル丸に乗り、神戸港を出港。パラー州ベレン港にたどり着いた。同州のベルテラ・ゴム採取農場に到着し、数カ月の滞在後、ロライマ州政府が農業発展のために日本人移民を招待していることを知り、同じ派遣団の13家族とロライマ州での行き先を決める抽選を行い、江田家はボアビスタに暮らすことが決まった。
 江田家はボアビスタ日本人移民のパイオニアであり、今日、同市内で最もよく知られる日系人家族の一つとなっている。
 テツさんの両親は、ボアビスタのアパレシダ・デ・ボアビスタ地区のミランディーニャに定住し、園芸を始め、ブラジル到着後に生まれた末妹を合わせた5人の子供を育て上げた。
 テツさんは42年前、生まれたばかりの娘ジェシクレイアさん(42歳)の頭文字Jを冠した『J. Castro Eda』社を創業した。当時はボアビスタで未開拓分野だった建設、リフォーム、景観設計、ガーデニング、害虫獣駆除サービスの分野でパイオニア的存在として懸命に働き、文字通り地元の成功者の一人に数えられるようになった。
 昨年12月に設置工事が完了したANIR(日伯ロライマ協会)の日本庭園の自動灌漑システムや庭のメンテナンスは、『J. Castro Eda』社が毎月1回ボランティアで引き受けている。
「人生は戦い続けなければならない」がモットーで、酒もタバコも休暇旅行も興味はない。
「日本に行ったこともないよ。以前、カミニョン(トラック)を買った時、2人分のドイツの往復航空券が当たったけれど、娘夫婦に渡したよ」
 テツさんが事務所の社長室に座っていることは来客時以外になく、常時外回りをしてどこかに問題がないかを探し、作業に当たる。自らカミニョンのハンドルを握って移動するのはベレンまでなら序の口。資材の買い付けには5日かけて遠くはパラナ州まで買い出しに出かける。
 現在は息子のテツヤさん(49歳)とジェシクレイアさんたちも一緒に事業を行う。テツヤさんは約20年サンパウロに暮らし、ガーデニングや景観設計、室内装飾の勉強を行ってきた。現在はボアビスタの環境に合わせた景観デザイナーとして活躍する。ブラジル最北の地の自宅に、「和」を取り入れたモダンなデザインの室内装飾、庭には竹を取り入れたガーデニングなど、ボアビスタの夜風に吹かれながら来客を夢の世界に誘う。
「一世移民の両親は働きづめ。私たちも仕事の連続で勉強できなかったので」と医学を志す5番目の息子には、勉強のため、5つの大学に通わせた。
 子供の幸せと成功を願う親心は世界共通である。(取材・執筆/大浦智子、つづく)

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