命懸けヒマラヤ山脈逃避行=ブラジル人妻と二人三脚の今=サンパウロのアジア系住人の今⑤チベット人編6

アドリアーナさんとオギェンさん
アドリアーナさんとオギェンさん

 サンパウロ市のチベットハウスで、特に人気のイベントがチベット料理の講習会(現在はオンラインでのみ実施)だ。講師を務めるのは、チベットで生まれ育った生粋のチベット人のオギェン・シェイクさん(リオ・グランデ・ド・スール州トレス・コロアス在住)だ。
 オギェンさんは、1950年代の中国のチベット派兵による動乱を契機に、16歳の時、3人の兄弟を含めた30人の仲間と自由を求めて徒歩でヒマラヤ越えを決行した。
 2カ月をかけ、ネパールの国境を越えた時には、数人が命を失い、自身は凍傷によって身体の各所が壊疽(えそ、皮膚や皮下組織などが死滅して暗褐色や黒色に変色する病気)していた。
 越境後、ネパールの難民病院に一人入院し、片足のつま先を切断した。退院後、インドのダラムシャーラーにあるチベット難民キャンプに移り、そこで兄弟、両親たちと再会した。
 インドでの難民生活中、家族を支えるため懸命に働きながら、ダライ・ラマやゾンサール・ケンツェ・リンポチェといった著名僧侶の寺院で絵を描く機会を得、仏教美術家として一目を置かれるようになった。

コチア移住、ブラジル人妻との出会い

 2006年、突如としてブラジル行きの機会が舞い込んだ。「サンパウロ州コチアのチベット仏教寺院Odsal Lingに、仏画を描いてほしい」と声をかけられた。オギェンさんは伯国行きを決意し、コチアの寺院で働いた。
 それから3年が経ち、リオ・グランデ・ド・スール州トレス・コロアスのチベット寺院でボランティアをしていたアドリアーナ・ダ・ロシャさんと出会った。
 「オギェンさんの陽気で楽しい人柄に一瞬で惹きつけられました」
 オギェンさんはアドリアーナさんと結婚して永住権を取得。2013年にはトレス・コロアスの豊かな自然環境の中で、ブラジル初のチベット料理レストラン『エスパッソ・チベット(Espaço Tibet)』をオープンし、夫婦二人三脚でこれまで営業を続けてきた。伯国ですべての食材を揃えるのは難しいため、インドの父親から、花椒など一部の食材は送ってもらっている。

 

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