競争激化する紡績業界=TNF社のエジミルソン社長(下)=鐘紡の思い引継ぎ奮闘=綿糸毎月350トン生産

TNF社の紡績工場内
TNF社の紡績工場内

 KDBフィアソン社(鐘紡ブラジルの継承会社)を2011年に引き継いだエジミルソン・アパレシード・デ・モラエス氏(59)は、14年に現在のTextil Nova Fiacao(TNF)社を正式に立ち上げた。それまでミナス・ジェライス州南部にあるグアシュペー工場には旧式の紡績機械しかなかったため、サンジョゼ・ドス・カンポス工場にあったKDB時代の新式紡績機械を140台分のトラックで運びこみ、グアシュペー工場で組み立て直した。
 現在もその当時の機械を使用しているが、さらなる新型機械の導入も必要不可欠で、15年には最新式機械を日本から導入したことで、生産能力そのものはアップしたという。しかし、20年3月からの新型コロナウイルスのパンデミックが経営難に拍車をかけ、運営面での厳しい状況は、今なお続いている。新型機械で高品質な服飾関連の綿糸(めんし)を製造する一方で、昨年からは旧式機械でも製造できる医療用ガーゼなど比較的安価な綿糸製品の製造も開始し、販路を広げている。

エジミルソン社長(左)と唯一の日系社員の平山さん
エジミルソン社長(左)と唯一の日系社員の平山さん

 同社の綿糸の原料である綿は、地元ミナス・ジェライス州をはじめ、南マット・グロッソ、ゴイアスで生産しており、綿糸の出荷先は服飾関連会社などブラジル内がほとんどだ。現在、TNF社の綿糸の製造量は月産350トン。10年前の150トンに比べて増加したものの、ライバル社でブラジル国内大手「アルピナ社」の月産3000トンには及ばない。ちなみに、鐘紡ブラジルのサンジョゼ工場時代は月産850トンの生産能力があったそうだ。
 鐘紡ブラジル時代はライバル会社との競争も激しく、エジミルソン氏は「とても厳しい時代だった」と振り返る。一方、現在の世代は「あまり、がむしゃらに働きたくない」との傾向があるようで、従業員の教育面でも鐘紡時代の考え方を身につけさせるのは難しいと感じている。
 同社で唯一の日系人である平山ウイルソンさん(72、二世)は、パラナ州アサイ市で生まれ、1973年に技術者として鐘紡ブラジルに入社した。以来、現在まで48年にわたって工場技術者として貢献。鐘紡時代の旧型機械も扱える職人として、高齢となった今も現役の技術工員として働いており、エジミルソン氏の信頼も厚い。また、同社にはエジミルソン氏の長男レナン氏が会社役員として父親を補佐し、次男のエジガルド氏も経理担当として経営手腕を振るっている。
 エジミルソン氏は、厳しい紡績業界の競争の中で社員の生活を常に考えながら、「鐘紡時代から日本文化など、様々な考え方を学んできた。45年にわたって同じ会社で働いてきて、ライバル会社は強大ではあるが、鐘紡の思いを引き継いで活動していくことが私たちの役割」と強調した。
 余談だが、サンジョゼ・ドス・カンポス市にあった鐘紡時代の紡績工場跡は現在、日系大手スーパーマーケットの「シバタ」がショッピングセンターとして引き継ぎ、店内には当時の紡績工場の歴史が写真パネル等で展示されている。(おわり、松本浩治嘱託記者)

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